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船岡山(ふなおかやま)は、京都府京都市北区に所在する山。 == 概要 == 京都市北区紫野北舟岡町に位置する、標高111.7m、面積2万5000坪の小山である。船岡山城の遺構が建勲神社および船岡山公園として整備されている。 なお、船岡山公園は、京都市の都市計画公園第1号であるが、大徳寺所有地を借地している。 山頂には三等三角点が設置されている。五山の送り火の見晴らしが良く、当日は混雑する。山名の由来は『都名所図会』によると舟の形に似るところによるという。 船岡山の北側及び南側に断層があり、地学上、隆起した山とされている。 == 歴史 == 平安京の中軸線である朱雀大路の真北に位置しているところから、造都に際して船岡山は南北軸の測量基準点となったとされる。頂上付近には露頭した岩が見られるため造都以前から磐座(いわくら)として信仰されていた可能性も指摘されている。古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。一方では都を代表する葬送地でもあり、吉田兼好も『徒然草』137段にて「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と述べている。 また、「平安京四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)」の玄武(=高山)に当てる説もあるが、「高山」とするには低すぎるため、なお検討を要する〔「高山」という条件からは今なお冬には冠雪を見せる北山のほうがふさわしいが、平安京四神相応説自体、平家物語に初出する説だから、現時点で新都撰地の条件としての「玄武」を探索することにあまり意味がない。〕。 保元元年(1156年)に行われた保元の乱の後、敗北した源為義とその子供たちがここで処刑されている。 応仁元年(1467年)、応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して立て籠もった(西軍の陣地となった船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。織田信長の死後豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、船岡山に天正寺という織田信長の廟を建設する。計画は石田三成により頓挫したが、一帯は江戸時代を通じて信長の霊地として保護された。明治2年(1869年)、明治天皇の宣下により、改めて船岡山に信長を祭る神社が作られることとなり、明治8年(1875年)、建勲神社が創設される。昭和6年(1931年)には山全域が風致地区に指定され、「船岡山公園」として市民の憩いの場となるように整備される。しかし戦前まで田園風景が広がっていた一帯も戦後は開発の波に晒され、2000年代には船岡山斜面に高層マンションを建設する計画が持ち上がり建築計画の修正が行われたりした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「船岡山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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