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船橋サーキット(ふなばし- )は、かつて千葉県船橋市若松町(現・浜町)に存在したサーキットである。 == 概要 == 1960年代半ば、船橋ヘルスセンターを経営していた朝日土地興業株式会社が目新しいレジャー施設を模索していたが、事実上の運営者であった丹澤章浩〔父親は朝日土地興業社長の丹澤善利〕にマキノ正美らが敷地内へサーキットを建設する案を持ちかけ、ほぼ同時期に計画されていた伊豆韮山サーキット〔1964年に日通伊豆観光開発が静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)に建設を計画。しかし用地問題から頓挫し1966年に計画地の一部は伊豆富士見ランドに流用されたが、1999年に閉鎖。以降跡地には日本通運伊豆研修センターが建設された〕建設調査のため来日していた元F1ドライバーのピエロ・タルッフィに設計を依頼したところ快諾。資本金2億円で株式会社船橋サーキットが設立され建設を開始し、多摩川スピードウェイ、鈴鹿サーキットに次ぐ日本で3場目のサーキットとして1965年7月1日に開設された。 月に1〜3回ほどサーキットコースでのレースを開催し〔『日本の名レース100選』67p。1965年7回・1966年21回・1967年10回(直前キャンセル含む)〕、コース内ではジムカーナを頻繁〔『日本の名レース100選』64p。2年間で100回ほど開催〕に行なっていた。またレーシングクラブ向けのライセンス講習会や、レンタカーによる体験走行もおこない、日本におけるレース人口の拡大に貢献した。 だが日本グランプリなど大レースの開催により収益を上げる方針であったものの当時の状況により誘致がままならず、また自動車メーカーなどによる貸切利用がほとんどなく、特に平日の利用が少なかったため、コースの維持費がかさんだことによる赤字拡大の問題に直面し、さらに朝日土地興業も経営が悪化していたことから、開設からわずか2年でサーキットの運営断念が決断される。この頃サーキットに隣接する船橋競馬場に併設されていた船橋オートレース場が、競馬場外への移転を迫られていたことから、朝日土地興業はオートレース関係者に移転受け入れを積極的に働きかけ〔『日本の名レース100選』28p〕、それが合意に達し船橋サーキットは1967年7月に閉鎖された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「船橋サーキット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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