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芝能楽堂(しばのうがくどう)は明治時代、芝公園の敷地内にあった能舞台の通称。単に「能楽堂」あるいは「能楽社」とも。明治維新により衰微した能楽の再興を目指して創建された。1902年(明治35年)靖国神社に奉納・移転、以降は「九段能楽堂」「靖国神社能楽堂」と称され、現在に至る。 能楽復興のシンボルとして、明治10〜20年代にかけ「明治の三名人」らの活躍の場となった。また屋根付きの能舞台と観客席を一つの建物の中に収めたいわゆる現行の「能楽堂」の先駆であり、その出現は近代以降の能楽のあり方全体に大きな影響を与えたとされる〔天野(2004)、pp.175-177〕。 ==背景== 幕府・藩からの保護を受けて成り立っていた能界は、明治維新により存続の危機に立たされることとなった。この時期、多くの役者が廃業・転業を余儀なくされ、多くの流儀が消滅した〔表・天野(1987)、pp.158-159〕。 しかし維新直後の混乱が落ち着くと、宮中、そして旧大名に代表される華族らが、能・狂言の保護に向けて動き出した。1878年(明治11年)には、能を好んだ英照皇太后のため、青山御所に能舞台が建てられている〔表・天野(1987)、pp.159-160〕。 ことに岩倉具視は欧米外遊の際に、各国の芸術保護を実見しており〔表・天野(1987)、p.160〕、1878年(明治11年)頃から、華族による能・狂言の後援団体設立に向けて動き始めた〔古川(1967)、pp.26-27〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芝能楽堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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