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芦原 すなお(あしはら すなお、1949年9月13日 - )は、日本の作家。本名 蔦原 直昭(つたはら なおあき)。 == 来歴・人物 == 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、早稲田大学第一文学部独文科卒業。 小学校の教員をしていた実父が、子供たちのために買ってくれた世界少年少女文学全集が文学に親しむきっかけとなった。小、中学で全巻を読破する。物語一つ一つがおもしろくて、まるで魔法にかけられたかのようだった。いずれ自分も魔法を使う側になりたい、そのうちいつか自分も物語を書くだろうと思っていたという。大学もすんなり文学部を選び、早稲田大学第一文学部に進んだ〔『さぬき文化論 人物ファイル』 『四国新聞』2014年(平成26年)8月28日付日刊(16面)〕。 早稲田大学大学院博士課程中退後、帝京短期大学講師を務める傍ら執筆活動を行う。1979年(昭和54年)、大学時代同じクラスだった村上春樹が『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」をとったという記事を新聞で読み、同作品に大きな衝撃を受ける。そして漠然と小説を書きたいとの思いから本腰を入れて書き始める転機となった〔『オール讀物』1991年9月号(文藝春秋) 芦原すなお「遊びをせむとや、たわぶれせむとや」〕〔芦原は大学時代の村上春樹の印象を次のように述べている。「男子とはあまり話していなかったけれど、ぼくとはよく話した。文学じゃなくて音楽の話で盛り上がった。ビートルズとローリングストーンズ、どっちが好きだい? と尋ねたら、『ストーンズの方がましだね』と答えた。またある日、そんなに音楽が好きなら、ギターは弾かないのかと聞いたら、『指と弦がこすれる感触がきらい』だって。ほんと、生意気。でも、思っていることを正確に正直に伝えることに長けていた」(『四国新聞』2014年8月28日)〕。 真剣に打ち込んで書いた最初の作品は、5年をかけて900枚余りの長篇となる。原稿を以前アルバイトをした時に知り合った編集者に読んでもらい、1986年(昭和61年)処女作『スサノオ自伝』は、集英社から刊行された〔。 そして二作目の小説『青春デンデケデケデケ』も2年をかけて書き800枚弱の長編となり、1991年(平成3年)1月、河出書房新社より刊行された。一作目の時と違う気持ちがあり、「できるだけ多くの人に読んでもらいたい」と考えて河出書房新社の「文藝賞」に応募する。応募規定は原稿用紙400枚以内であったため、それに合わせて修正が施された〔『私家版 青春デンデケデケデケ』(作品社)(1995年) あとがき〕。 同作品は、1990年(平成2年)第27回文藝賞、1991年(平成3年)初ノミネートで第105回直木三十五賞(直木賞)を受賞。翌年1992年(平成4年)同名にて大林宣彦の監督で映画化され、原作通りに香川県観音寺市を舞台に撮影が行われた。 1995年(平成7年)連作短編小説『松ヶ枝町サーガ』が、NHKでドラマ化された。四国の海辺の架空の町を舞台に昭和30年代の少年の日常を人情味豊かに描いた作品である。 2007年(平成19年)から1年間、実母を主人公のモデルとした、小説『野に咲け、あざみ』を故郷の四国新聞に連載〔『「野に咲け、あざみ」連載開始時のインタビュー記事』 『四国新聞』2007年(平成19年)9月20日付日刊(10面)〕。実母は、新体操の指導者として観音寺第一高校新体操部を全国優勝に7回(高校総体5回、国体2回)導いた経歴を持つ〔『雑草のうた 礒野栗子遺稿集』(1987年) 礒野栗子年譜〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芦原すなお」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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