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芦川 絵里(あしかわ えり、1949年8月 - )は、日本の女優である〔キネ旬, p.24.〕〔日外, p.61.〕〔キネ旬, p.140.〕〔現代の眼, p.256-261.〕〔''芦川絵理''、''jlogos.com'', エア、2014年11月5日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年10月30日閲覧。〕〔年鑑, p.137-139, 153, 170.〕〔キネ旬, p.43, 59, 76, 111.〕〔''Eri Ashikawa'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年11月5日閲覧。〕〔''芦川絵里''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年11月5日閲覧。〕〔日本映画情報システム 検索結果、文化庁、2014年11月5日閲覧。〕〔''芦川絵里''、KINENOTE, 2014年11月5日閲覧。〕〔''芦川絵里''、allcinema, 2014年11月5日閲覧。〕〔''芦川絵理''、日本映画データベース、2014年11月5日閲覧。〕。芦川 絵理と表記された作品もある〔。木俣堯喬のプロダクション鷹に所属し、同社のほか若松孝二の若松プロダクションの作品に多く出演した〔〔〔〔〔〔〔〔。『』(監督若松孝二、1969年)のキーヴィジュアルである、十字架にかけられた女を演じたことで知られる〔キネ旬, p.124.〕〔''処女ゲバゲバ''ポスター、若松プロダクション、2014年11月5日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == === 木俣堯喬と若松孝二 === 1949年(昭和24年)8月、神奈川県に生まれる〔〔。 1968年(昭和43年)3月、高等学校を卒業、絵画の勉強をしながら、ファッションモデルの仕事をしていた〔。満19歳を迎えるこの年、正確な時期は不明であるが、木俣堯喬(1915年 - 2004年)が芦川をスカウトし、プロダクション鷹の専属女優になる〔。水城リカ(1943年 - )、あるいは珠瑠美(1949年 - )・谷身知子(1951年 - )姉妹らとともに木俣堯喬の門下生として育てられた〔〔。同年、木俣が監督し水城リカが主演した成人映画『送り狼』に出演して、映画界にデビューする〔。同作が、諸記録に残る最初の出演作品である〔〔〔〔〔〔〔。 当時の専門誌『成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「中性的な顔立ちとスリムなプロポーションで人気を集めた」と評す〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男の名を挙げているが、芦川についての言及はない〔田中, p.85-86.〕。1966年(昭和41年)デビューの一星ケミ(1947年 - )や祝真理(1948年 - )、1967年(昭和42年)デビューの辰巳典子(1947年 - )や谷ナオミ(1948年 - )、青山リマ(1949年 - )、白川和子(1947年 - )、あるいは同じ1968年デビューのハニー・レーヌ(1952年 - )や谷身知子ら同様、戦後生まれの第二世代に属する。 翌1969年(昭和44年)1月に公開された『人肉の市』、翌2月公開の『広域重要指定一〇八号拳銃魔 嬲りもの』、同年4月公開の『密室』、同年5月公開の『裸体の街』といった木俣の監督作に次々に主演する〔〔〔〔〔〔。『広域重要指定一〇八号拳銃魔 嬲りもの』は前年秋に起きた「広域重要指定一〇八号事件」、いわゆる「永山則夫連続射殺事件」に題材をとり、逮捕前に犯人像を創造したフィクション作品である〔60年代まぼろしの官能女優たち PART II 、ラピュタ阿佐ヶ谷、2014年11月5日閲覧。〕。また、とくに作家の田中小実昌がゲスト出演した『裸体の街』では、田中が演じるヒモを支える薄幸の女を演じて好評を得た〔。当時、同社は若松プロダクションと提携しており、同年4月に公開された若松孝二の監督作『処女ゲバゲバ』では、富士山麓の荒野で磔刑に処される女「花子」を演じた〔〔〔〔〔〔〔。同年5月26日に公開された若松プロダクション製作、足立正生監督の『』でも主演している〔〔〔〔〔。『人肉の市』は1971年(昭和46年)8月18日に ''Les Esclaves du plaisir'' の題でフランスで公開されている〔''Les Esclaves du plaisir'' , ''Encyclociné'', 2014年11月5日閲覧。〕。 同年7月に公開された若松孝二監督による主演作『私は濡れている』を最後に引退した〔。満22歳であった。以降の消息は知られていない。引退後の1975年(昭和50年)4月、映画評論家の松田政男が『現代の眼』での連載『集団の発見 52』で、「映画スター」としての「芦川絵里という若い娘さんのことを思い出す」として1960年代末の芦川を回想し、「若松プロのピンク映画にひっきりなしに姿を見せていた」「今や主婦をやっているのかもしれず」と書く〔。同じプロダクション鷹の谷身知子も翌1972年(昭和47年)に結婚引退、渡米した〔キネ旬, p.434.〕。存命であれば2014年(平成26年)には満65歳である〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芦川絵里」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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