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幸田駅(こうだえき)は、愛知県額田郡幸田町大字芦谷字幸田にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。 幸田町の中心部に位置する駅で、幸田町内にある3駅の中で最初に開業した駅である。駅名の読みは「こうだ」だが、地名の読みは「こうた」である〔。これは地名の読みも「こうだ」だった時の名残である(幸田町は1954年に旧豊坂村と合併した際に読みを「こうた」に改めた)。 普通列車および早朝・深夜のみに運転され豊橋 - 岡崎間の各駅に停車する区間快速のほか、一部の特別快速・新快速・快速が停車する。日中は上下線ともおおむね毎時3本の列車が停車する。また、留置線に貨物列車が停車していることもある。 == 歴史 == 1900年、相見村(現在の幸田町中部)の志賀藤助村長が同志らと村内に駅設置を企画し、設置期成同盟会を作った。同盟会は村内各地区ごとに募金を募り、隣村にも協力を依頼した〔『幸田町史』 465頁〕。相見村の動きを受けて、深溝村(現在の幸田町南部)でも期成同盟会が発足している〔『地域史 深溝』 386頁〕。1902年、蒲郡駅~岡崎駅間の複線化により、相見村の山本鍬之助村長と、地元選出の県会議員・足立信次郎の要請で新駅設置は実現段階に入った。1906年5月1日に相見村・坂崎村・深溝村の3村が合併して広田村が発足。これを機に、駅設置場所を芦谷信号所北350mとし、1906年6月1日に起工し1908年4月1日に幸田駅として開業した〔『幸田町史』 466頁〕。当時の自治体名は広田村だったが、既に福島県に広田駅が開業していたため、「幸田駅」として開業した。 当地は、1906年に坂崎村と相見村、深溝村が合併した際に〔山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版、1980年10月。ISBN 978-4490101355〕、村内を流れる広田川から「広田村」となっていた〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』 角川書店、1989年2月。ISBN 978-4040012308〕。しかし、駅名をそのまま村名に応用することになり〔、1908年7月28日に「幸田村」へ改称している〔。 戦後、駅の利用者増加により町は国鉄に駅の改修を要望するが、国鉄は財政難から難色を示したため町が1952年に跨線橋を設置、1953年には開業時のままで老朽化していた駅舎を改築し、国鉄に寄付した〔『芦谷郷土史』 284頁〕。同年には、国鉄がホームに待合室と上屋を設置している。1970年、下り待避線が設置された。また、予てからあった西口設置の要望に対し、1974年に駅の西側を結ぶ地下道を設置した〔『芦谷郷土史』 285頁〕。1982年からは駅業務を民間に委託している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幸田駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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