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花井 愛子(はない あいこ、1956年11月30日 - )は、日本の作家。特に少女小説の分野での著作が多い。別ペンネームとして、神戸 あやか(かんべ あやか)、浦根 絵夢(うらね えむ)がある。また後年では愛菜(あいな)という別ペンネームも用いたことがある。 == 略歴 == 兵庫県神戸市東灘区に生まれ〔両親が兵庫県芦屋市出身でそれを大変誇りにしていたことから当人も関西人としての意識が強く、名古屋人として扱われることを嫌い、プロフィール紹介にはできる限り「神戸市出身」を入れるようにしているという。『「ご破産」で願いましては』pp.44-45を参照。〕、5歳のとき父の転勤で名古屋市に転居。幼稚園から約20年名古屋市で育つ。 南山短期大学中退後、広告制作会社のOLからコピーライターに転身。カゴメやワコールなどの広告制作を手がけていたが、27歳で独立し、自らの会社を設立。1987年の講談社X文庫ティーンズハートの創刊に際して企画から関わり、同年、『一週間のオリーブ』で少女小説デビューを果たし、同文庫の代表的作家となる。改行を多用する(時には下半分が真っ白いなどと揶揄されることもある)独特の読みやすさを優先した文体、いわば少女の夢の実現とも言うべき分かりやすい物語、といった少女小説(特にティーンズハート)全体に言える特徴を創り出した作家の一人とも言える。 なお、現代ライトノベルの特徴でもある。現役の第一線で活躍する少女漫画家の華やかなイラストを採用し、そのイラストを多用した本の作りを提案し、実行した第一人者であり、現代ライトノベルの基礎を作った一人である。 最盛期には上記の2つの別ペンネームも駆使するほどのペースで、ティーンズハートをはじめとする各種少女文庫や、一般向けの文庫など約200冊の多数の著書を出版し、総売上2000万部とも言われ、「少女小説の女王」とも呼ばれる時代の寵児となった。月に5冊の小説を刊行したこともあり、最盛期の印税収入は月額1000万円に達した〔『「ご破産」で願いましては』pp.32-40〕。 しかし、1989年5月5日に母がインフルエンザで急死し、1992年に父が癌で死亡。自著による印税の大部分を長らく父親の名義にしていたことから、父の死後、約7000万円の遺産相続をめぐってそれまで面識のなかった腹違いの兄や姉(存在自体は知っていた)との法的係争に巻き込まれてしまう(もともと父方の叔父一族と不和だったことから、花井は異母兄弟の蔭で叔父一族が糸を引き、遺産相続分の上前をはねようとしているものと考えた〔『「ご破産」で願いましては』p.146〕)。この際に遺産が凍結されてしまったことから、生活に困窮し始める。これらのトラブルに巻き込まれて執筆がほとんど出来なかった時期に、少女小説ブームが終焉を迎えたことから仕事が激減。1991年のバブル崩壊の影響により自ら保有していた有価証券が二束三文となり、合計4箇所に所有していた不動産物件のローンが払えなくなった上、これらの物件を低額で手放すことを余儀なくされ、2001年には自己破産に追い込まれる。このころ、叔父一族との争いによる心労から夜尿症になりかけたことを告白している〔『「ご破産」で願いましては』p.243〕。最終的に異母兄弟には約1000万円を支払うことで法的決着がついた〔『「ご破産」で願いましては』p.222〕。 最近は、以前ほどのペースではないものの小説(大人向けの作品)を発表するかたわら、前述の自己破産の経験や日常の生活を題材にしたエッセーも発表している。また、広告出版の企画制作プロデュース業でも活動。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花井愛子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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