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花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - ?〔『大相撲力士名鑑』(共同通信社刊)の「花光」の欄の「没年月日」の項には、「不詳」と記載されている。〕)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重132kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 == 来歴・人物 == 父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。 高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。 1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。 左四つからの寄りという地味な相撲を得意とし、二桁勝利や三賞、三役とは縁はなかったが幕内を通算25場所務めた。 唯一の金星は1968年(昭和43年)5月場所、3日目に柏戸から挙げたものであった。だが、同場所では惜しくも7勝8敗と負け越したため、殊勲賞受賞を逃してしまった。 1970年(昭和45年)3月場所以降は幕内から遠ざかり、同年9月場所では幕下まで番付を落とし、同場所限りで現役を引退した。 引退後は、年寄・大嶽を当時現役だった大鵬(横綱)から借り受けて襲名し、花籠部屋や大鵬部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たった。 1974年(昭和49年)からは、同じく現役力士だった龍虎(小結)より放駒の名跡を借り受けていたが、1975年(昭和50年)5月場所限りで廃業(名跡保有者である、龍虎自身の引退に伴う)。 廃業後は青森市で、季節料理・鍋物料理の店「ちゃんこ道場」を経営した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花光節夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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