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花山院家教 : ミニ英和和英辞書
花山院家教[かさんのいんかきょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
家教 : [かきょう]
 (n) (abbr) tutor

花山院家教 : ウィキペディア日本語版
花山院家教[かさんのいんかきょう]

花山院 家教(かざんいん いえのり)は鎌倉時代中期の公卿太政大臣花山院通雅の次男。正二位権大納言左近衛大将
== 経歴 ==
弘長2年(1262年)正月に従五位下叙爵。同年3月に父の譲りで従五位上に昇叙。弘長3年(1263年)に正五位下に叙せられ、文永3年(1266年侍従に任ぜられる。
文永5年(1268年従四位下侍従に叙任。文永7年(1270年)には従四位上・阿波権介となり、文永9年(1272年)に正四位下に叙せられる。文永10年12月(1274年2月)に右近衛権中将に任ぜられ、ほどなくして左近衛権中将に転じる。建治2年(1276年従三位備中権守に叙任されて公卿に列し、同年さらに参議に任ぜられるが、父・通雅の薨御によりに服した。
建治3年(1277年正三位、建治4年(1278年従二位に昇叙。弘安2年12月(1280年1月)権中納言に任ぜられる。弘安6年(1283年)権中納言を辞退するが同年中に還任し、弘安7年(1284年正二位に叙せられた。また、大宮院(西園寺姞子)の院司を務め、弘安8年(1285年)の北林准后(四条貞子)の九十賀に奉行してその次第を作進している〔『准后貞子九十賀記』(宗冬卿記)。〕。正応元年(1288年)には中納言に転じ、同年さらに権大納言に昇進した。正応2年(1289年)には春宮大夫を兼ね、正応5年(1292年)には左近衛大将も兼帯した。
永仁2年(1294年)正月16日に踏歌節会内弁を務め、2月には久子内親王院号を決定する議定において、家教は花山院師信らとともに永陽門院を推して採用されている〔『勘仲記永仁2年2月7日条。〕。同月末に祖父・定雅の薨御により喪に服し、4月に復任した。永仁5年(1297年)5月15日、病により職を辞任して21日に出家。26日に薨去した。享年37。
20代より儀式の次第を作進し、正応2年(1289年)や正応4年(1291年)の正月の叙位の議では執筆を務めるなど、有職故実に詳しかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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