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花山院 経定(かざんいん つねさだ)は鎌倉時代後期の公卿。正三位・権中納言。右大臣花山院家定の次男。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の記事に従って記述する。 嘉元4年(1306年)6月12日、叙爵。正和2年(1313年)8月7日、従五位上に昇叙。なお、前年に兄である良定が薨去している。同年11月7日、侍従に任ぜられる。正和3年(1314年)1月5日、正五位下に昇叙。同年9月21日、少将を経ずに左中将に任ぜられた。正和5年(1316年)1月5日、従四位下に昇叙。中将は元の如し。文保元年(1317年)3月27日、陸奥介を兼ねる。文保2年(1318年)1月5日、従四位上に昇叙。同年3月9日、春宮権亮を兼ね、4月1日には正四位下に昇叙。なお、同年8月には権大納言兼右大将であった父家定が右大臣に任ぜられた。元応元年(1319年)1月5日に父家定が従一位に叙せられ4月には右大臣を辞した。同年8月5日、参議に任ぜられ、10月21日には従三位に叙せられた。元応2年(1320年)2月9日、讃岐権守を兼ねる。元亨元年(1321年)3月11日、正三位に昇叙され、同年7月26日には権中納言に昇進。元亨3年(1323年)6月15日、恐懼を受けたが、同月26日には出仕すべき許しを得た。正中3年(1326年)1月29日、薨去。長男、次男と薨去した花山院家は家定の三男・長定が継ぐ事になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院経定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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