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花山院 長雅(かざんいん ながまさ)は鎌倉時代中期の公卿。正二位大納言。鷹司長雅とも。父は右大臣花山院定雅、母は権中納言二条定高の娘。妻は権大納言清水谷実持の娘である従三位按子。子には従二位参議中将に至った定長、正二位権大納言に至った家雅がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建長6年(1254年)12月25日、参議に任ぜられる。この時、正四位下右中将。建長7年(1255年)1月5日、従三位に叙される。正嘉元年(1257年)1月26日、正三位に昇叙。正元元年(1259年)9月28日、権中納言に任ぜられる。文応元年(1260年)3月29日、従二位に昇叙。弘長3年(1263年)1月6日、正二位に昇叙。文永元年(1264年)10月29日、母の喪に服す。文永5年(1265年)12月2日、権大納言に任ぜられる〔同日に、権大納言右大将であった兄通雅は内大臣に任ぜられている。 〕。建治2年(1276年)3月29日、前太政大臣である兄通雅が薨去。弘安6年(1283年)1月には白馬内弁を勤める。2月26日、権大納言を辞した。弘安7年(1284年)5月6日、大納言に還任。弘安8年(1285年)3月6日、大納言を辞したが同月10日には本座を許される。弘安10年(1287年)12月16日、薨去。享年52、又は53とも。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院長雅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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