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花岡菊子 : ミニ英和和英辞書
花岡菊子[はなおか きくこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

花岡菊子 : ウィキペディア日本語版
花岡菊子[はなおか きくこ]

花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 1984年6月12日)は、日本の女優である〔蒲田, p.10.〕〔''花岡菊子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''コトバンク、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''日本映画データベース、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''KINENOTE, 2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''日活データベース、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''、映画データベース、東宝、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''テレビドラマデータベース、2013年2月18日閲覧。〕〔''花岡菊子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月18日閲覧。〕。出生名は瀧川 幾代(たきがわ いくよ)、結婚後本名は松崎 幾代(まつざき いくよ)〔〔〔。1920年代末の松竹蒲田撮影所の喜劇女優として知られ、戦後は新東宝に所属、脇役俳優として映画に多く出演した〔〔。
== 人物・来歴 ==

=== 松竹キネマの時代 ===
1910年明治43年)9月11日静岡県静岡市寺町(現在の同県同市葵区駿河町)に生まれる〔〔〔。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』(蒲田雑誌社)には「1911年9月1日出生」との旨の記述がみられる〔。
旧制小学校卒業後、旧制・静岡精華高等女学校(現在の静岡大成高等学校)に進学、1928年(昭和3年)3月、同校を卒業する〔〔〔。東京に移り、同年10月1日付で松竹蒲田撮影所に入社、同年11月25日に公開されたサイレント映画飛行機花婿』(監督佐々木恒次郎)で映画界にデビューした〔〔〔。同作で主演した斎藤達雄とはコンビとなり、同じ佐々木恒次郎監督による『珍客往来』(1929年)や『裏町の大将』(同年)、清水宏監督による『村の王者』等に主演、多くのコメディ映画に出演した〔〔。
1929年(昭和4年)1月、大幹部に鈴木伝明、幹部に岡田時彦高田稔結城一朗、斎藤達雄、龍田静枝筑波雪子が昇進したときに、山内光浪花友子青山万里子及川道子川崎弘子谷崎龍子とともに、満18歳で準幹部に昇進した〔松竹, p.265.〕。同年8月1日に公開された清水宏監督の『陽気な唄』に助演、記録の上では、同作で初めて結城一朗と共演したことになる〔〔。1930年(昭和5年)1月26日に公開された西尾佳雄監督の『スポーツ精神』、同年2月8日に公開された佐々木恒次郎監督の『黒百合の花』、同年2月22日に公開された清水宏監督の『紅唇罪あり』と立て続けに結城とともに主演、ないしは恋人役を演じた〔〔〔。1933年(昭和8年)8月24日に公開された清水宏監督の『旅寝の夢』に助演したのを最後に、松竹下加茂撮影所へ異動、時代劇に転向した〔〔。
1935年(昭和10年)初頭、結城も追って下加茂に異動になり、同年6月27日に公開された衣笠貞之助監督の『雪之丞変化 第一篇』で、数年ぶりに共演している〔〔〔雪之丞変化 第一篇 、日本映画データベース、2013年2月18日閲覧。〕。翌1936年(昭和11年)9月に、6歳上の俳優・結城一朗(本名松崎龍雄、1904年 - 1988年)と結婚、その後、2男1女をもうけた〔〔〔キネマ旬報社, p.622.〕。1941年(昭和16年)には、夫婦ともども、松竹を退社した〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「花岡菊子」の詳細全文を読む




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