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花敷線 : ミニ英和和英辞書
花敷線[はなしきせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 

花敷線 : ウィキペディア日本語版
花敷線[はなしきせん]

花敷線(はなしきせん)は、かつて日本国有鉄道国鉄バス)、東日本旅客鉄道(JR東日本)、ジェイアールバス関東長野原支店が運行していたバス路線。2009年3月31日をもってJRバスは廃止され、2009年4月1日からは、地元自治体である六合村が継承して運行、2010年3月28日に六合村が中之条町に編入されたため、現在は中之条町が中之条町営バスとして運行している。
==概説==
吾妻線長野原草津口駅から花敷温泉に至る路線である。夏期は花敷温泉を経由し、野反湖まで運行する。
*国鉄バスは1955年12月15日の開業であるが、その2年前、1953年6月に草軽交通が長野原駅(現・長野原草津口駅)から花敷温泉までの区間の乗合自動車免許を取得し、路線バスを走らせていた。草軽交通と国鉄バスは共同運行であったが、次第に国鉄バスが増便され、草軽交通は1984年5月に長野原~花敷温泉間を廃止している(草軽交通撤退時、草軽の便は1日3往復であった)。草軽交通がこの路線を持っていたのは、近隣の鉱山から産出される硫黄や鉄鉱石の輸送を引き受けていたことも関係している。
*花敷線と志賀草津高原線を結ぶ「鈴蘭線」(全長8.5km)も存在し、国鉄バス時代に花敷線の下梨木から国道292号線(通称旧道)を経由して草津温泉に至る路線を展開していた。国鉄が鈴蘭線から撤退した時期は不明であるが、この一部の路線、草津温泉~草津栗生楽泉園間を草軽交通がマイクロバスを使って運行していた時期もある。鈴蘭線の名残でもある草軽交通の便は昭和末期には廃止された。
*国鉄バス時代は、志賀草津高原線の夜の草津温泉行で草津温泉に入り1泊、翌朝草津温泉の停泊施設から花敷温泉まで廻送し、長野原駅(現・長野原草津口駅)までを走る運用もあった。JRバス運行末期まで志賀草津高原線と共通運用であり、志賀草津高原線との関わりが深かった。
*1950年代~1960年代には東武バスが群馬県道55号線、国道292号線を介して中之条~草津温泉間の便を運行させていた。東武バスの便は花敷温泉は経由しなかったものの、わずかな区間ながら国鉄バスの花敷線、鈴蘭線とは路線が重なっている部分があった。
*1970年、国鉄長野原線の長野原~大前間の延伸工事に伴い、長野原線の末端部「長野原~太子間」が休止となる。鉄道の運行休止の代償措置として花敷線は若干の増発が行われた。
*1971年、3月7日に長野原線の長野原~大前間が延伸開業し吾妻線に改称、同年5月に休止区間だった長野原~太子間は正式廃止となり、花敷線は鉄道廃止区間の代替バスとしての役割も持つようになった。この頃は、花敷温泉行のほか、鉄道時代の終点でもある太子行、当時あった国鉄六合山荘(現在の道の駅六合)行など、区間便も運行されていた。
*2002年の夏期は、温泉キャンペーンとタイアップして、期間限定で草津温泉~花敷温泉間を乗換なしで結ぶ便が運行された。草津温泉を出たバスは志賀草津高原線のルートで長野原草津口駅を経由し、花敷温泉まで運行された。
*2008年春のダイヤ改正に伴い、大幅に減便される。特に土休祝日は2往復体制となっていた。
*2009年3月31日、花敷線廃止(運行期間は国鉄、JR東日本の時代を含め、53年3ヶ月であった)。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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