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芳賀 幸四郎(はが こうしろう、1908年1月25日 - 1996年8月6日)は、日本史学者〔小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』 幻冬舎(幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6、182頁。〕。東京教育大学名誉教授。 東山文化研究の第一人者。 禅を極め、臨済宗妙心寺派系の法を嗣ぐ老師。如々庵(にょにょあん)洞然(とうねん)。自ら一行物の墨蹟を数多く残すとともに、老師として禅語の解説書も著わす。 == 来歴・人物 == 山形県寒河江に生まれる。 1926年、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)に合格したが、1927年山形の連隊に入隊、小学校の訓導となり、山形県女子師範を卒業したばかりの藤田洋子と知り合い、キリスト教会に通った。 1928年、東京高師入学、 1930年、洋子と結婚するが、マルクス主義に染まり、1931年2月、検挙されるが不起訴処分、退学を命ぜられて山形に帰った。長男でのちの東大教授・芳賀徹が生まれたのはこの5月である〔。定職がなく、山形高校を受験したが、前歴のため不合格となった。国民精神文化研究所の研究生となり、マルクス主義批判の研究を始め、 1934年、東京高師復学、 1935年卒業。山形の鶴岡市立鶴岡中学校に勤め、家族で鶴岡に転居、夫人は小学校で教えた。 1938年、東京文理科大学国史科入学、翌年夫人は二子を置いて上京し小学校に勤務した。 1941年、卒業、そのまま助手として残り、二子を引き取った。 1944年に講師昇進の話があったが、思想的経歴のために認められなかった。 1945年、最初の著書『東山文化の研究』を上梓、 戦後、1946年に東京文理科大学講師、 1950年助教授を務め、 1964年、東京教育大学文学部教授となった。 1971年に定年退職し、名誉教授となり、大東文化大学文学部教授を1981年まで務める。 1981年叙勲三等授瑞宝章。1996年叙従四位。 専攻は中世史と禅で、原勝郎の衣鉢を継いで中世公家文化を研究、『三条西実隆』のほか、歴史教科書を数多く書いている。禅のほうでは在家のまま「人間禅」において師家となった。法号を洞然(とうねん)。『芳賀幸四郎歴史論集』全4巻がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芳賀幸四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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