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芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)5月4日 - 1993年(平成5年)3月23日)は日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。 晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」〔『芹沢光治良先生追悼文集』1995〕との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。 == 経歴 == 静岡県駿東郡楊原村大字我入道(現在の沼津市我入道)に父・常蔵(後に常晴と改名)、母・はるの子として生まれる。生家は網元。1900年 父が天理教に入信し無所有の伝道生活に入ったため、叔父夫婦と祖父母に育てられる。世話になった叔父の家も後に天理教会となる。1915年沼津中学校(現・静岡県立沼津東高等学校)卒業後、沼津町立男子小学校の代用教員となる。1919年第一高等学校仏法科卒業。1922年東京帝国大学経済学部卒業。農商務省に入省。1925年農商務省を辞任しソルボンヌ大学に入学、金融社会学のシミアン教授 (François Simiand) に学ぶ。フランス滞在中に結核に冒され療養につとめる(スイス・レザンには、芹沢が療養したとされるサナトリウムがその当時の建物のままで現存しており、名門校レザンアメリカンスクールの校舎として使用されている)。1929年帰国、1930年 療養中の体験に基づいた作品『ブルジョア』が、「改造」の2回目の懸賞小説に一等当選し文壇に登場した。中央大学講師。1943年『巴里に死す』を刊行。1952年『巴里に死す』が森有正によってフランス語訳され、1年で10万部のベストセラーとなる。1963年 自伝的長編『人間の運命』を刊行。1964年『人間の運命』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1965年 川端康成のあとを受け、第5代日本ペンクラブ会長となる。1969年日本芸術院賞を受賞〔『朝日新聞』1969年4月9日(東京本社発行)朝刊、14頁。〕、1970年日本芸術院会員となる。1974年金芝河減刑嘆願事件に端を発したペンクラブ批判で会長を辞任。1986年「神シリーズ」全8巻を死去の年まで書き続ける。1993年老衰のため死去、遺骨は静岡県沼津市内の墓所に埋葬。 代表作に『巴里に死す』、『一つの世界』、『人間の運命』、『神の微笑』などがある。 「神シリーズ」では大江健三郎との手紙のやり取りで、大江側が「先生」と呼ぶ等、二人の親睦が深いものと思われる描写がある。なお、百武源吾海軍大将と義兄弟の約束を結んでいる〔『異色の提督 百武源吾』P1~3の芹沢の序文。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芹沢光治良」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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