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芹澤純一 : ミニ英和和英辞書
芹澤純一[せり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せり]
 【名詞】 1. dropwort 2. Japanese parsley
: [じゅん]
  1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste 
純一 : [じゅんいつ]
  1. (adj-na,n) purity 2. homogeneity 3. unadorned
: [いち]
  1. (num) one 

芹澤純一 ( リダイレクト:芹沢純一 ) : ウィキペディア日本語版
芹沢純一[せりざわ じゅんいち]

芹沢 純一(せりざわ じゅんいち、1968年9月4日 - )は、JRA栗東トレーニングセンターに所属する調教助手で元騎手
常用外漢字の使用に制約がある新聞・JRA公式ホームページなどでは「芹沢」と表記されるが、戸籍上の表記は「芹澤 純一」である。
== 来歴 ==
1968年静岡県静岡市(現・同市駿河区域)にて出生。両親は自営業を営むものちに倒産、芹沢の幼少期には取り立てから逃げるための引越しを繰り返したという。
そんな生活苦から抜け出すためスポーツ選手となることを思いついた芹沢は父に何がいいかを訊ね、「(体が小さいから)騎手しかないな」と言われたのを契機に騎手も進路のひとつとして考えるようになる。
競馬学校に進学した芹沢は本来なら1987年デビュー予定であったが、卒業試験直前に落馬骨折するけがを負い、騎手免許試験を不合格となり留年したため1年遅れの1988年、競馬学校第3期生鹿戸幸治厩舎所属騎手としてデビューとなった。同期には蛯名正義武豊塩村克己らがいる。
デビュー初日にJRA初騎乗初勝利という記録を達成し、デビュー初年度に23勝を記録。師匠である鹿戸幸治の尽力により1年目より他厩舎〔坪憲章橋口弘次郎鶴留明雄坂口正則など〕からも騎乗馬を集め、勝利数を順調に伸ばす。
1990年には栗東トレセン内で交通事故を起こし騎乗数を減らされるなか〔鹿戸が他厩舎に対し「芹沢を2ヶ月乗せないでくれ」と頼んだほか、自身も芹沢への騎乗馬を減らしている。〕23勝を挙げるも、翌年以降は落馬負傷等により低迷、デビュー当時にあったGI競走への騎乗依頼もなくなる。
この当時、中央場所(京都・阪神)中心の騎乗だった芹沢だが、勝ち鞍を伸ばすためローカル開催へと騎乗の場を移し、1994年には北九州記念をイブキファイブワンで制し重賞初制覇を達成。またこの年フェアプレー賞を初めて受賞し、これまでに同賞を4度受賞している。ローカル転戦によりふたたび勝利数を伸ばし始めた芹沢はこの後も重賞勝利を重ねたほか、1996年には7年ぶりのGI騎乗も果たしている。
関西を拠点とする騎手であるが、先述の通りローカルでの騎乗が多く、関西主場である京都・阪神での騎乗数は全体の2割強にとどまり、6割超が福島・新潟・小倉・中京の4場を占める。なかでも福島・新潟の2場では福島記念2勝2着2回のほか、1993年から2000年にかけカブトヤマ記念騎乗機会6年連続2着という好成績を残している〔競馬ニホン・芹沢騎手、カブトヤマで6連続2着 〕。
2012年12月20日を以って騎手を引退し、鹿戸明厩舎の調教助手に転身した〔今村 康成・小林 慎一郎・芹沢 純一・野元 昭嘉・渡辺 薫彦・鈴来 直人騎手が引退 - 日本中央競馬会オフィシャルウェブサイト〕。2014年には鹿戸の勇退による厩舎解散により新たに開業した石橋守厩舎に移籍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「芹沢純一」の詳細全文を読む




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