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『若きいのちの日記』(わかきいのちのにっき)は、大島みち子のノンフィクション作品、及びそれを原作としたドラマ化作品である。 == 概要 == 往復書簡集の河野実/大島みち子の「愛と死をみつめて」(大和書房、1963年12月)の大島みち子の日記を書籍にしたもの。1964年1月、大和書房から刊行された。 「愛と死をみつめて」が、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、レコードになり、大ベストセラーになって「若きいのちの日記」が取り残された感じを与えたが、本来「愛と死をみつめて」をA版とするならば、「若きいのちの日記」はB版に相当するものである。実際、青山和子が唄いコロムビアレコードからリリースされ、1964年の日本レコード大賞にもなった「愛と死をみつめて」のB面は「若きいのちの日記」になっている。ドラマ化、映画化に当たっては、シナリオライターや監督(演出)、主演者などは、「愛と死をみつめて」から河野実(マコ)と大島みち子(ミコ)の二人の愛の流れをたどるが、ミコの内面を描く資料としては「若きいのちの日記」を重要参考にしている。 内容は不治の病軟骨肉腫に冒された大島みち子が、恋人河野実に再会した1962年7月22日から翌年6月26日までの、約1年間の死の淵からの叫びを綴っている。この中に死後有名になった「病院の外に健康な日を三日ください」の詩は、亡くなる四か月前の4月10日に書かれている。 「若きいのちの日記」の注釈は経緯を熟知している河野実が書いている。 1964年だけで 「愛と死をみつめて」が125万部、「若きいのちの日記」は80万部で、2冊合わせて200万部突破の、当時史上空前の大ベストセラーを記録した。 「若きいのちの日記」は「愛と死をみつめて」では分からなかった、ミコの闘病生活や心の葛藤が綴られており、才媛大島みち子の内面、人間性、家族や友人関係を知ることができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若きいのちの日記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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