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若力堂聖也 : ミニ英和和英辞書
若力堂聖也[わかりきどう せいや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 
: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
: [なり]
 (n) a sum of money

若力堂聖也 : ウィキペディア日本語版
若力堂聖也[わかりきどう せいや]

若力堂 聖也(わかりきどう せいや、1986年12月23日 - )は、愛知県豊田市出身で松ヶ根部屋(引退時は二所ノ関部屋)に所属していた元大相撲力士。本名は濱田 聖也(はまだ せいや)。現役時代の体格は身長187cm、体重162.5kg、最高位は西幕下31枚目(2013年11月場所)。取り口は、右四つ、寄り。
== 来歴 ==
大学27冠の実績を持つ田宮啓司の勧誘に失敗した松ヶ根が未練を抱きながら田宮の生地である豊田市を訪れたところ、立派な体格をした濱田と出会った。濱田は現在とほぼ変わらぬ完成した相撲体型を見込まれて中学卒業間際の2002年3月場所に本名で初土俵を踏む。体格こそ新弟子時代から立派であったがこの頃は相撲の技術をほとんど持っていなかったため新序ノ口となった同年5月場所を3勝4敗と負け越し、序ノ口通過に2場所を所要するなど滑り出しは良くなかった。序二段昇進後も序ノ口と序二段を往復する生活が続き、2003年3月には序二段で7戦全敗の憂き目に遭う。これを見かねた両親が「技と力が早く身に附くように」との願いを込めて四股名「若力堂」を命名し、2003年7月からこの四股名を名乗る。ところが慣れない相撲部屋生活で体重が135㎏程度まで減少したため、新序二段から序二段通過までの時期に於いて星取は5勝2敗或いは2勝5敗が大半を占めており、成績に安定感を欠くことから新三段目は2005年1月場所まで待つことになった。2006年には三段目に定着したと思われていたが同年7月は怪我で全休、翌9月場所も場所開催直前に休場届を出したことで1番相撲が不戦敗となり実質全休。しかし西序二段79枚目まで番付を下げた2006年11月には格の違いを見せつけ7戦全勝での序二段優勝。翌2007年1月場所、三段目に復帰したこの場所でも勢いは止まらず6勝1敗の好成績で、続く3月場所は最高位を東三段目18枚目まで更新。一旦2008年9月場所を全休するなど足踏みもあったが2009年3月場所には西三段目67枚目の地位で自身2度目の各段優勝となる7戦全勝での三段目優勝。新幕下となった次の5月場所は4勝3敗と勝ち越し、翌7月場所には最高位を西幕下34枚目まで伸ばした。2010年8月12日、2年前に野球賭博に参加したことを同年6月に行われた相撲協会の調査で申告しなかったことが警視庁の捜査で発覚し、賭け金は1回ごとに5000円、回数は3回であることが明らかになった。〔松ケ根部屋2力士も野球賭博 十両松谷「怖くて言えず」 朝日新聞DIGITAL 2010年8月13日2時7分〕特別調査委員会によれば、2008年に阿武松部屋に出稽古に行った際、松谷が幕下・古市から誘われて始め、若力堂は松谷に誘われたとい、本人は「怖くて言い出せないうちに話が大きくなってしまった」と説明した。〔松ケ根部屋2力士、賭博バレた!協会に申告せず厳罰も 2010年8月13日 スポーツ報知〕大相撲野球賭博問題に関する当初の方針は「申告漏れがあった場合は解雇」というものであったが温情的に直後の9月場所から2場所の出場停止のみで済んだ。東序二段42枚目まで番付を落とした翌2011年1月場所も4番相撲から途中出場という不調ぶりであった。翌5月技量審査場所、続く7月場所をそれぞれ6勝1敗の好成績として、ブランク明けから約半年で幕下に復帰。2013年3月場所は東三段目74枚目の地位で7戦全勝し、三段目優勝同点。次の9月場所から翌2014年1月場所まで5場所連続で幕下に定着するなど成長の様子を見せ、2013年11月場所には27歳を目前として最高位を西幕下31枚目まで更新する奮戦ぶりであった。しかし、2014年3月場所を三段目で全休したことを境目に幕下では全く通用しなくなり、持病の椎間板ヘルニアにも悩まされて〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年2月号(初場所総決算号) 90頁〕2016年1月場所初日の相撲を最後に土俵を下りた。〔元幕内大道、土佐豊ら11人の引退を発表 日刊スポーツ 2016年1月27日(2016年1月27日閲覧)〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若力堂聖也」の詳細全文を読む




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