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若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日〔 『声優名鑑』、690頁、成美堂出版、1999年、ISBN 978-4415008783〕 - )は、日本の男性俳優、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優、フリー。 == 来歴・人物 == 樺太大泊町出身〔 『北海道新聞』2002年2月28日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀①」〕。両親は青森県下北郡佐井村出身で〔、父親は銀行に勤務していた〔。旧制札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)を経て〔 『北海道新聞』2002年3月4日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀③」〕 、北海道札幌南高等学校卒業〔。声変わりの後の自分の声に対するコンプレックスを克服するため〔 『北海道新聞』2002年3月5日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀④」〕、高2の時にNHK札幌放送局主宰の朗読放送研究会に入る〔。高校卒業後の1951年、新たに設立されたNHK札幌放送劇団の研究生となる〔 『北海道新聞』2002年3月6日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀⑤」〕。同期には高垣葵・石山透(ともに後に脚本家)・牟田悌三らがいた〔。1952年にNHK札幌放送劇団の本格採用となり〔〔通販生活 2013秋冬号、p.125 私の人生を変えたあの人の言葉 連載第8回〕、ラジオドラマへの出演をしつつ発声や声楽の勉強を行った〔20世紀に連れてって No.7 若山弦蔵 〕。 1956年に主演したラジオドラマ『パイロットファーム』が、文部省芸術祭で団体奨励賞を受賞〔 『北海道新聞』2002年3月7日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀⑥」〕。特に若山の演技は、審査員の円地文子(作家)が絶賛するなど好評を博した〔。このことが契機となり、1957年6月に東京に移る〔。ラジオドラマへの出演の傍ら、海外テレビドラマや洋画の吹き替えの仕事も始める〔 『北海道新聞』2002年3月8日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀⑦」〕。 1958年のTBSの海外ドラマ『ローン・レンジャー』で吹き替え作品初の主演をつとめる〔 『北海道新聞』2002年3月11日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀⑧」〕。以後、『モーガン警部』、『バークにまかせろ』『スパイ大作戦』などの人気作で立て続けに主演をつとめ、独特の甘い低音は「レディー・キラー・ボイス」と呼ばれた〔。 放送劇団出身であり、日本で声優が専業として確立する以前から活動している者の中では、舞台や俳優の仕事をしたことがほとんどなく、声優を専業として活動してきた数少ない人物である。また、「吹き替え業が始まってから、劇団で活動していた俳優の多くが兼任して声の仕事をやっていたことが腹立たしかった」と、声優を専業としてきた人と劇団の俳優との違いを交えながら語っている。 吹き替えでは正義派から悪役までこなす本格派、落ち着いたナレーションもこなしている。代表的な洋画吹き替えの持ち役は、英国俳優のショーン・コネリー(「007」シリーズ、『ザ・ロック』)、レイモンド・バーなどである。後にピアース・ブロスナンの吹き替えを担当した神谷明は、彼が声をあてたジェームズ・ボンドにしびれたと語ったことがある。 1968年のTBSラジオ『パック・イン・ミュージック』(2年間担当)を皮切りに、ラジオのパーソナリティの仕事も始め、1973年からはTBSラジオ『若山弦蔵の東京ダイヤル954』(当初は『おつかれさま5時です』)のパーソナリティーを、一度も休むことなく1995年まで22年間務めた〔 『北海道新聞』2002年3月12日夕刊、「私のなかの歴史・声優・若山弦蔵さん - 声の職人半世紀⑨」〕。同番組は放送回数5700回に達し、生ワイドラジオ番組の長寿記録を更新した。 『バックグラウンド・ミュージック』(2009年3月29日終了)の「今週の一言」は俳協設立につながる1960年の太平洋テレビジョン労働争議の内幕を語るなど芸能史の一証言だったが、番組終了により中断となった。現在、大山のぶ代が名誉校長を務める音響芸術専門学校(東京都港区)の声優・アナウンス専門課程で、後進の指導にも当たっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若山弦蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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