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若山 治(わかやま おさむ、1886年2月25日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である〔アサヒ, p.213.〕〔''若山治''、''jlogos.com'', エア、2013年3月25日閲覧。〕〔''若山治''、日本映画データベース、2013年3月25日閲覧。〕〔''若山治''、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月25日閲覧。〕〔''若山治''、日活データベース、2013年3月25日閲覧。〕。本名同じ〔。雅号を若山 南柯(わかやま なんか)とする〔。監督作はいっさい現存していないが〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月25日閲覧。〕〔主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇 、マツダ映画社、2013年3月25日閲覧。〕、溝口健二の映画界入りのきっかけとなり、師となったことで名を残す〔溝口・西田, p.318.〕。 == 来歴 == 1886年(明治19年)2月25日、栃木県足利郡足利町(現在の同県足利市)に生まれる〔〔。 最終学歴は旧制中学校卒業である〔。卒業後、薬局に勤務したり、弁護士の書生を務めたり、俳諧師の門下に入ったりといった経歴を経て、1919年(大正8年)6月、満33歳のときに日活向島撮影所に入社する〔。翌1920年(大正9年)には監督に昇進し、同年9月18日に公開された『罪の影』が、記録残るもっとも古い監督作である〔〔〔。若山はのちの巨匠・溝口健二の向島入社のきっかけとなり、溝口の師となり、1923年(大正12年)2月4日に公開された溝口の監督昇進第1作『愛に甦る日』では、若山はオリジナル脚本を提供している〔〔〔〔。 同年9月1日の関東大震災により、同撮影所は壊滅し、現代劇製作の機能を京都の日活関西撮影所に移したが、このとき若山は、兵庫県武庫郡精道村大字芦屋(現在の同県芦屋市)の帝国キネマ演芸に移籍している〔〔。1924年(大正13年)秋には、日活に復帰、日活京都撮影所第二部に所属した〔〔〔。1925年(大正14年)に発行された『日本映画年鑑 大正十三・四年』(アサヒグラフ編輯局)には、編集部の問いに答えて、今後の抱負として「少年少女の出演映画のみ作ってみたい」と語り、「思想善導社会強化の効果のありし映画を作りたる場合には、政府が奨励金でも出すといいと思う」と意見を述べている〔。 1927年(昭和2年)からは、時代劇の剣戟映画のジャンルに進出したが、満42歳となった1928年(昭和3年)5月25日に公開された『高杉晋作』以降の作品の記録が見当たらない〔〔〔。以降の消息も不明である。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若山治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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