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若本 規夫(わかもと のりお、1945年10月18日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。シグマ・セブン所属。星座はてんびん座。干支は酉。本名は、若本 紀夫(読みは同じ)。旧芸名は若本 紀昭(わかもと のりあき)。 代表作に『サザエさん』(穴子(2代目)、花沢の父)、『ドラゴンボールZ』(セル)、『銀河英雄伝説』(オスカー・フォン・ロイエンタール)、『人志松本のすべらない話』(ナレーション)などがある〔Yahoo!人物名鑑によるプロフィール より 2010年2月10日閲覧〕。 == 概要 == === 来歴 === 関西大学第一高等学校を経て、早稲田大学法学部を卒業。警視庁中野警察学校を経て警視庁機動隊に2年間〔勤務する。当時は学生紛争が過激化していた情勢下で、1968年の新宿騒乱事件では、機動隊員として最前線で攻防に加わっていた。退官後に日本消費者連盟事務局の創立メンバーを経て、黒沢良のアテレコ教室を経て声優に転じたという異色の経歴を持つ。少林寺拳法三段、全日本剣道連盟三段の資格を有しており、業界有数の“武闘派”という一面も持つ。また、武道以外にも禊流古神道神法教傳会師範代(神道の資格である)を持つ。なお、堺市育ちであるため泉州弁のアドリブをこなすこともある。 大学時代は少林寺拳法と講義に夢中だったので、就職は考えず司法試験や大学院進学を考えていたが、大学院試験に落ちたことに加え家庭の事情もあり10月から就職活動を開始。会社を一つ紹介してもらって三次試験まで残るも、面接前にビルを散策したところ気が萎え受験を放棄、その後「ハラハラドキドキする仕事」と就職課に相談したところ、警視庁と消防官の募集を教えてもらい、消防官は近視だったので無理と判断し警視庁に締切間近で書類を出して採用された(当時は警官不足だったので毎月試験を行っていた)〔という。 声優になる決意をしたきっかけは本人によると、消費者連盟で上司を殴り飛ばし、解雇された後に「安酒をかっくらった後に電車で帰る途中、シートで横になっていると上の棚に置いてあった新聞が顔に落ちてきた」ことであったという〔『アニメージュ』「この人に話を聞きたい」。〕。新聞には黒沢良の外画のアテレコ声優の養成所のオーディション〔4Gamer.net ― 「ラテール×こえ部」収録現場で人気声優の若本規夫さん,井上麻里奈さん,大亀あすかさんにインタビューしちゃいました 〕の広告があり、その日は特に何も思わずに過ごしたが、次の日になると「自分は組織や団体というものに向いていない。何か手に職をつけて、腕っ節一つだけでやっていける仕事に就くしかない」と思い、新聞広告のオーディションに参加。オーディション当日、会場に到着すると会場いっぱいに若者達がいたという。若本が「何人採るの?」と役員に聞いたところ「20人」と返され自身の受験票を見ると受験番号が「300番台後半」だったという。 一度はやめようと思ったが、会場に可愛い娘がいたことに加えて、「もう受験料を払ってしまったのだから受けるだけ受けよう」という気持ちから受験を決心。とにかく刷られた台詞を無我夢中で吹き込んだという。結果、養成所の最高権力者だった東北新社の中野寛次に認められ、全員不合格とした他の審査員の意見を跳ね除けた上で採用された。以後、異色の経歴でありながら25歳で声優界へと歩みだしたという〔〔。 2000年代以降は急激にアニメやゲームへの出演が増加している。それまでは、『サザエさん』の「アナゴさん」などに代表されるような脇役が多かったが、それ以外では年間通してわずか端役1役しか役が来なかった年もあったなど、決してアニメ方面で売れていた存在ではなかった。そのため一時期はナレーションを中心に活動していたが、その独特のイメージを築き上げたことで、特に若いアニメファン層に、性別問わず絶大な人気を誇る声優の1人に数え上げられるようになっている。その人気にあやかって若本規夫が読み上げる『小倉百人一首』などが販売されたこともある。 同期の声優は、玄田哲章、銀河万丈。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若本規夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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