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若杉山豊一 : ミニ英和和英辞書
若杉山豊一[わかすぎやま とよいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [いち]
  1. (num) one 

若杉山豊一 : ウィキペディア日本語版
若杉山豊一[わかすぎやま とよいち]

若杉山 豊一(わかすぎやま とよいち、本名:熊本 豊一(くまもと とよいち)、1933年1月24日-1999年11月4日)は、1950年代から1960年代にかけて活躍した大相撲力士である。福岡県糟屋郡志免町出身。時津風部屋に所属していた。最高位は西前頭筆頭(1965年3月場所)。現役時代の体格は177cm、120kg。得意手は右四つ、寄り。〔大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709〕
== 来歴 ==
福岡県立山田高校在学中は相撲部で主将を務め、高校卒業後は炭鉱に就職した。しかし、母校の所在地である福岡県山田市(現・嘉麻市)出身の十両剣龍(後の関脇巨砲の実父)のスカウトを受け、1953年に時津風部屋へ入門。
初土俵を踏んだのが20歳と遅かったが、高校時代の経験と地力を生かし、右差し手を返し、投げを打ちながら寄る型を武器に少しずつ着実に番付を上げていった。
1959年3月場所での新入幕以降の約2年半は主に幕内と十両を往復し、1961年9月場所からは3年以上十両に停滞していた。
しかし、1965年1月場所で3度目の入幕を果たすといきなり12勝3敗と、13勝2敗で優勝した大関佐田の山に次ぐ好成績を挙げて生涯唯一の三賞となる敢闘賞を受賞した。翌場所では、一気に前頭筆頭まで番付を上げ、横綱や大関との対戦も経験した。6日目には横綱・栃ノ海を寄り切って、生涯唯一の金星を挙げている。
その後は再び幕内中下位に戻り、1966年11月場所を最後に幕内から遠ざかった。間もなく関取の地位からも陥落し、幕下8枚目に在位した1967年5月場所を以って、34歳で廃業した。
廃業後は「豊商事」という商社に暫くの間勤務し、退社後は、郷里・糟屋郡志免町で相撲料理の店を営んだという。
1999年11月4日、肺水腫により逝去。享年66。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若杉山豊一」の詳細全文を読む




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