|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 若松 : [わかまつ] 【名詞】 1. young pine 2. New Year's symbolic pine decoration ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 只 : [ただ] 1. (adj-pn,adv,conj) free of charge 2. mere 3. sole 4. only 5. usual 6. common ・ 一 : [いち] 1. (num) one
若松 只一(わかまつ ただかず、1893年3月8日 - 1959年11月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。終戦時の陸軍次官。 ==経歴== 陸軍工兵中尉・若松八弥の長男として福島県で生まれる。名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第33連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した。 歩兵第33連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員などを経て、1930年(昭和5年)8月から1932年(昭和7年)10月までドイツに駐在した。1932年10月、歩兵第33連隊大隊長となり、参謀本部員、欧州出張、陸軍省軍務局課員(軍務課)、参謀本部付などを歴任し、1937年(昭和12年)6月、オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官となり、ハンガリー公使館付武官を経て帰国。1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に進級し留守第3師団司令部付となる。 1939年10月、第38歩兵団長に就任し日中戦争に出征。広東付近での諸作戦に参加した。1940年(昭和15年)2月、第22軍参謀長に転じた。同年11月、第22軍が廃止され参謀本部付となる。太平洋戦争を参謀本部総務部長として迎え、1942年(昭和17年)12月、陸軍中将に進級した。 1942年12月、参謀本部第3部長となり、翌年10月、第46師団長に就任。1944年(昭和19年)11月、南方軍総参謀副長に転じた。1945年(昭和20年)4月、本土決戦に備える第2総軍参謀長に就任。同年7月から10月まで陸軍次官を務め終戦を迎えた。同年11月、予備役に編入となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若松只一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|