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若松 文男(わかまつ ふみお、1888年10月20日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.646.〕〔''若松文男''、日本映画データベース、2012年11月18日閲覧。〕〔''若松文男''、KINENOTE、2012年11月18日閲覧。〕。本名松井 恒吉(まつい つねきち)〔〔。 == 人物・来歴 == 1888年(明治21年)10月20日、京都府京都市に生まれる〔〔。 幼少期の1890年代、中村駒之助に弟子入りし、子役の歌舞伎役者となる〔。長じて、京都の明治座等で常打ちする新派の静間小次郎(1868年 - 1938年)〔、2012年11月18日閲覧。〕の「静間小次郎一派」に参加する〔。 1925年(大正14年)、 マキノ・プロダクションに入社〔、当時は同社の等持院撮影所が東亜キネマに買収されており、一度は「東亜キネマ等持院撮影所」と名乗ったが、内外からの不満により正確には「東亜マキノ等持院撮影所」と称していた時期であった。翌1926年(大正15年)、牧野省三が再独立してマキノ・プロダクション御室撮影所を開所した後の同年3月26日に公開された、橋本佐一呂監督の『闇乃森』で映画界にデビューした〔。当時すでに満37歳であった〔。1931年(昭和6年)春の同社の製作停止まで所属しており、同社での若松の最後の作品として記録に残るのは、同年2月13日公開、吉野二郎監督の『処女爪占師』であった〔。 1932年(昭和7年)には、日活京都撮影所に移籍、同年12月22日公開、片岡千恵蔵プロダクション製作、日活配給による稲垣浩監督の『時代の驕児』に出演している〔〔。1938年(昭和13年)3月31日に公開された『忠臣蔵 地の巻』(監督池田富保)、『忠臣蔵 天の巻』(監督マキノ正博)で演じた吉田忠左衛門の役どころは、マキノの父・牧野省三が、1928年(昭和3年)に製作・監督した大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』における若松の役と同一である〔。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、若松は同社に継続入社する〔〔。 第二次世界大戦後も引き続き同撮影所の作品に出演するが、満59歳となった1947年(昭和22年)11月25日に公開された野淵昶監督の『白粉帖』以降、出演記録が途絶える〔〔''若松文男''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2012年11月18日閲覧。〕。以降の消息は不明であり、1979年(昭和54年)に発行された『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)では、同年以前にすでに死去し、没年不詳としている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若松文男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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