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若林 つや(わかばやし つや、1905年11月 - 1998年9月)は、日本のプロレタリア作家。本名、杉山 みつゑ。 == 略歴 == * 1905年11月 静岡県田方郡下狩野村(現・伊豆市)加殿の農家に生れる。 * 1918年3月 静岡県下大見尋常高等小学校(現・伊豆市立中伊豆小学校)卒。 * 1919年3月 静岡県田方郡の教員養成所を終了、準教員の資格を得る。 * 1919年4月 静岡県下狩野尋常高等小学校(現・伊豆市立修善寺東小学校)に赴任。 * 1926年3月 静岡県女子師範学校(現・静岡大学教育学部)本科第二部卒。 * 1926年4月 静岡県下大見尋常高等小学校(現・伊豆市立中伊豆小学校)訓導(教諭)に就任。 * 1928年4月 静岡県伊東尋常高等小学校(現・伊東市立西小学校)訓導(教諭)として赴任。 * 1929年10月 『女人芸術』に投稿、連盟員となる。 * 1929年11月 東京都への出向を命じられる。 * 1929年12月 静岡県伊豆多賀尋常高等小学校(現・熱海市立多賀小学校)に転任。 * 1931年3月 静岡県伊豆多賀尋常高等小学校退職。 * 1931年4月 上京。 * 1931年7月 ソヴェートの友の会事務局へ就職。プロレタリア作家同盟加入。 * 1931年9月 小説『押し寄せる波』(『女人芸術』4巻1号掲載)が、『東京朝日新聞』文芸時評で小林多喜二に評される。 * 1933年6月 『輝ク』3号から編集を担当。 * 1934年6月 第1次『現実』に参加。 * 1938年3月 『日本浪曼派』に参加。 * 1939年5月 『双紙』同人となる。 * 1939年6月 出版社『ぐろりあ・そさえて』に就職。 * 1944年6月 財団法人民族学協会調査部に就職。 * 1952年5月 『女人像』同人となる。この時からペンネームを「杉山美都枝」とする。 * 1972年3月 財団法人民族学振興会を退職するが、後任者の病欠などにより1987年3月まで常勤・非常勤として勤務。 * 1998年9月 天城湯ヶ島町(現・伊豆市)にて逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若林つや」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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