翻訳と辞書
Words near each other
・ 若林正丈
・ 若林正人
・ 若林正俊
・ 若林正恭
・ 若林洋平
・ 若林淳至
・ 若林源三
・ 若林漢二
・ 若林漸
・ 若林潤一
若林牧春
・ 若林理紗
・ 若林瑠星
・ 若林瑠海
・ 若林町
・ 若林町 (八尾市)
・ 若林盛亮
・ 若林直樹
・ 若林直美
・ 若林真


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

若林牧春 : ミニ英和和英辞書
若林牧春[わかばやし ぼくしゅん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [ぼく, まき]
 【名詞】 1. pasture 2. grazing land
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

若林牧春 : ウィキペディア日本語版
若林牧春[わかばやし ぼくしゅん]

若林 牧春(わかばやし ぼくしゅん、男性、1886年9月11日 - 1974年6月29日〔)は、明治大正昭和期の日本歌人詩人、教育者。本名岡部 軍治〔〔文献によっては、名前を「軍二」としているものもある。たとえば、倉間勝義ほか編『多摩の人物史 古代より現代まで800人』(武蔵野郷土史刊行会、1977年)、横山吉男『多摩の文学碑 百三十碑余の詳細解説』(武蔵野郷土史刊行会、1981年)、横山吉男『多摩文学散歩 文学碑・墓碑を歩く』(有峰書店新社、1996年、ISBN 4-87045-215-4)など。〕(おかべ ぐんじ)。他の雅号に暁花、星骨がある。
== 略歴 ==
1886年明治19年)9月11日、東京府南多摩郡町田村本町田(現東京都町田市本町田)に生まれる。文学好きのの影響で幼少期より詩歌に親しみ、蒲原有明岩野泡鳴選の詩壇や佐佐木信綱窪田空穂選の歌壇に投稿した〔。1907年明治40年)東京府青山師範学校卒業後、故郷に帰って町田尋常高等小学校(現・町田市立町田第一小学校)に奉職。1909年八王子尋常高等小学校(現・八王子市立第七小学校)に転じ、1917年より八王子市立第四小学校校長(同年9月より八王子尋常夜学校校長兼任)、1927年より八王子尋常高等小学校校長を務め、1941年立川市視学となった〔この間、青年学校校長、八王子工機青年学校校長なども歴任した。出典は立川市教育委員会編『新立川市史研究 第4集』(立川市教育委員会出版、1988年)の「若林牧春(本名 岡部軍治)略年譜」。〕。八王子市内の小学校にプールを完備させる〔など教育に精励する傍ら、趣味として「萬朝報」や「文章世界」への投書を続け、1911年北原白秋が創刊した文芸誌朱欒」に加わった〔。「朱欒」廃刊後は白秋の門下である河野慎吾村野次郎らが発行した「秦皮」に属したが、1935年に白秋が多磨短歌会を興し、歌誌「多磨」を創刊すると、これに入会して八王子支部を結成した〔〔歌誌「多磨」の八王子支部には山本秀順、下村照路、石川一造、馬込朝三郎、田中紀子、平沢進八郎らが参加した。なお、同支部は多摩支部ともされ、三木卓『北原白秋』(筑摩書房、2005年、ISBN 4-480-88521-8)には「八王子の「多磨」多摩支部」とある。〕。「多磨」終刊後は宮柊二が創刊した「コスモス」を経て、中村正爾の「中央線」会友となり、歌作を発表した〔。1965年10月に生涯唯一の歌集『冬鶯集』を出版。1968年12月には高尾山に牧春の歌碑が建てられた〔。1974年昭和49年)6月29日没、享年88。戒名は慈光院牧春秀月居士〔。墓所神奈川県海老名市勝瀬鳳勝寺〔〔若林家の菩提寺は東京都町田市本町田の宏善寺である。出典は町田市民文学館ことばらんど作成『町田文学散歩マップ(町田駅・本町田篇)』の「若林家の墓」。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若林牧春」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.