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若林重喜 : ミニ英和和英辞書
若林重喜[わかばやし しげき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

若林重喜 : ウィキペディア日本語版
若林重喜[わかばやし しげき]

若林 重喜(わかばやし しげき、1966年12月24日 - )は日本の野球選手(内野手)、野球指導者。社会人ベストナインに史上最多の6回選出され、バルセロナ五輪代表では五番打者を務めた。
== 経歴 ==
彦陽中学では投手を務めていたが、佐伯鶴城高三塁手に転向して同学年の野村謙二郎と三遊間を組んだ。高校通算で23本塁打を記録し、3年夏の全国高等学校野球選手権大分大会ではリリーフとして登板もしたが、甲子園出場はならなかった。高校卒業後は立正大学に進み、東都大学リーグ二部では4年の春に三冠王に輝いている。
に大学を卒業すると日本石油に入社し、同年の第60回都市対抗野球大会では早くも六番としてスタメン入りした。秋の日本選手権からは打順が五番に上がり準優勝に貢献。以降、四番の徳永耕治とともにツインバズーカと呼ばれる強力なコンビを形成〔JXENEOS野球部 若林重喜・徳永耕治 〕し、翌年の日本選手権でも準優勝、には同選手権で優勝している。
またからは4年連続で三塁手として社会人ベストナインに選出され、のバルセロナ五輪では日本代表にチームメイトの徳永や坂口裕之小桧山雅仁らとともに選出されている。同五輪では全試合に三塁手として先発出場し、予選リーグ第2戦の対スペイン戦以降は五番を務めた〔別冊宝島、1545号、P.79〕。打率.394、13安打はいずれもチーム2位の成績だったが、一方で9試合で6打点は同5位タイで中軸としては必ずしも高くない数字だった〔別冊宝島、1545号、P.82〕。
1993年の都市対抗では徳永に代わって四番を務め、自身初となる同大会優勝に貢献して大会優秀選手に選ばれた。1995年の都市対抗でも優勝し、1996年の都市対抗は準決勝で敗れたものの徳永とともに5本塁打を放ち、3年ぶりに社会人ベストナインに選ばれている。日本石油が予選敗退した1997年および1998年の都市対抗には、日産自動車の補強選手として参加し、10年連続出場を達成。特に1998年の第69回大会では準決勝から決勝にかけて9打席連続安打を記録し、決勝戦では5打数5安打の活躍で日産の優勝に貢献した。この大会では打率.684で首位打者賞に輝いている〔都市対抗野球の名選手、名場面 〕。同年は初めて一塁手として社会人ベストナインに選ばれたが、そのまま現役を引退している。
1999年には現役時代の功績をたたえ、佐伯市から市民栄誉賞が贈られている〔毎日新聞、1999年5月29日 朝刊、大分地方版、P.23〕。に新日本石油にコーチとして復帰して翌から監督を務めた。2003年は都市対抗に出場するなど、まで世代交代期にあるチームを統率した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若林重喜」の詳細全文を読む




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