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若水美登里 : ミニ英和和英辞書
若水美登里[わかみず みどり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

若水 : [わかみず]
 (n) first water drawn from a well on New Year's Day
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

若水美登里 : ウィキペディア日本語版
若水美登里[わかみず みどり]

若水 美登里(わかみず みどり、1882年2月17日 - 1934年1月21日)は、日本の俳優である。娘形、女形として活動した。本名北沢 浜之助(きたざわ はまのすけ)。
== 人物・来歴 ==
1882年(明治年)2月17日、「北沢浜之助」として生まれる。
1910年(明治43年)、吉沢商店が製作したサイレント映画に女形として出演している。1912年(大正元年)には、山崎長之輔らとともに、福宝堂が製作した吉野二郎監督作『通夜物語』等に出演している。同年、吉沢商店、福宝堂が他の2社と合併して日活を設立、翌1913年(大正2年)10月にオープンした日活向島撮影所でも、山崎長之輔とのコンビで『新野崎村』や『寒牡丹』等に出演した。当時は、監督等のクレジットすらされておらず、出演作も定かではない〔 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850、p.274-279.〕。
最晩年(昭和初年頃か)には何らかの理由で半身不随になり、旅回りの天幕芝居にまで身を落としていたらしい。〔平山蘆江の随筆「街頭小景」の記述より。「真夏になると、この空地を利用して天幕芝居が興行される。入場料十銭ぐらゐの芝居喜劇とも劔劇ともつかぬ國訛りの多い役者の口跡が、十時十一時頃まで、手にとるやうに私の書斎へ、簾を通して流れ込んでくるのだ。半身不随になった若水美登里を、この一座に見かけた時、彼れの全盛時を思ひ起して、いひ知れぬ哀愁をおぼえ、家人や来客をそそのかして、何度も見物にいったことがある。」『人間道場』岡倉書房、1934年 pp.158-159.〕。
1934年(昭和9年)1月21日、死去した。満52歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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