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若筑波茂[わかつくば しげる]
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・ 波 : [なみ] 【名詞】 1. wave
若筑波茂[わかつくば しげる]
若筑波 茂(わかつくば しげる、1956年10月30日 - )は茨城県土浦市出身、高砂部屋所属の元大相撲力士。本名は田中 茂(たなか しげる)。得意手は、右四つ、下手投げ。身長175cm、体重118Kg。最高位は西十両8枚目(1984年7月場所)。 == 来歴 == 中学時代は柔道で活躍した。中学卒業後は働きながら定時制高校に通っていたが、知人の元力士の紹介で高砂部屋に入門。1972年7月場所に初土俵を踏んだ。入門時体重は70kg弱しかなく、その後もなかなか体重が増えず、序二段から三段目下位で苦労した時期も有った。しかし、100kg近くまで体重が増えて行くと幕下に定着して行った。しばらく、幕下上位で一進一退を続けたいたが、1984年5月場所に十両に昇進した。小兵を生かした速攻相撲が得意であったが、十両では本来の相撲が取れず、勝ち越しは2回のみで1985年3月場所には幕下に陥落した。幕下上位には留まっていたが、1986年1月場所前には同場所限りで引退する決意し、断髪式の招待状も出していた。しかし「最後の場所は見苦しい相撲を取りたくない」と気楽に本場所を迎えた所、一番相撲から勝ち続け7戦全勝し幕下優勝をしてしまった。当時、西幕下14枚目の地位であったが、15枚目以内の全勝であれば無条件で十両に昇進できるという内規があるので再十両が内定した。この際、相撲番の記者から「本当に辞めるの?」と質問され、「いえ、辞めるのを辞めます」という名言を残し、引退を撤回した。翌3月場所、十両に復帰したが2勝13敗と負け越し1場所で幕下に陥落。それ以降も幕下で取り続けたが最初の引退宣言から1年後の1987年1月場所を最後に現役を引退し廃業。廃業後は地元・土浦に帰り、ちゃんこ料理店「相撲料理 若筑波 」を経営している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若筑波茂」の詳細全文を読む
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