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若野 桂(もしの かつら、KATSURA MOSHINO、1968年1月5日 - )は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクター、映像作家である。岐阜県安八郡生まれ。 若野桂制作室(OFFICE 1980)代表。 == 人物・経歴 == 1986年、岐阜県立大垣東高等学校卒業。1980年代後半から活動を開始し、アップル社のMacintoshとアドビ社のソフトウエア Illustratorを使用したベジェ曲線を駆使した2DCGやハイパーカードを応用した。 1990年初頭、イギリスで発売されたオムニバス・アルバム「United Future Organization presents MULTI DIRECTION」のイラストレーションを手がけ、逆輸入的に日本で、マンディ満ちる、モンドグロッソ、DJ KRUSH、birdなど数々のアーティストのフライヤーやCDジャケットを手がける。 ファッションブランド、VIVA YOU(ビバ・ユー)の広告キャンペーンの女性向けなキャラクター展開。サントリーの飲料「CCレモン・モシノグッズ・キャンペーン」を手がける。 1998年、日本人で初のNIKE社のバスケットボール広告の北米キャンペーンのイラストレーターに抜擢。「URBAN ATTACK」と題されたこのNIKEのキャンペーンは、北米とイタリアの街中が若野のビルボード広告で埋め尽くされ、スモーキーなピンク色は「モシノ・ピンク」と命名され、「Japanese twist(日本人のヒネリ)」と評された。また、このNIKEキャンペーンでは、P-FUNKの総帥ジョージ・クリントンによってレコード制作が行われ、音楽とキックス(NIKEのバスケットシューズ)とバスケットボールとブラックカルチャー/ヒップホップカルチャーに根付いた内容のキャンペーンであった。 1999 - 2000年、NIKE社バスケットボールのアジアおよび北米における「PLAYER'S DElIGHT」キャンペーンのアートワーク担当及び企画参加。実在するNBAのアスリートを若野がキャラクター化し、ビルボード広告や街中の広告、そして、若野キャラクターがアニメーションになってラップをするTVCMが展開された。日本版のTVCMは、日本のラッパーである、ZEEBRA、TWIGY、DEV LARGEを採用、3者によって限定レコードもレコーディングされ、高値プレミアものとなっている。また、TVCMはアメリカにおけるTVCM専用のポータルサイトでのチャートで、初登場14位という記録を得る。 オリジナル作品をビデオミキサーを使用して映像ミックスをするVJとしても活動、芝浦GOLDでのDJ小林径のバースデーパーティ、United Future Organization が主催していたマンスリーパーティ「JAZZIN'」、大型音楽フェスティバル「レインボー2000」でのオーディオ・アクティブのVJ、当時新宿歌舞伎町にあったリキッドルームで展開されていた数々のイベントのVJを担当していた若野と宇川直宏と、そして後に登場した生西康典は、VJムーブメントを形成したオリジネイターの一人である。 また映像作家として、TBSテレビ「うたばん」のCMキューの映像制作、モード学園TVCM、オーディオ・アクティブのミュージック・クリップなどを監督制作などするなか、2001年にシカゴからリリースされた竹村ノブカズのシングル「sign」のために制作した映像が、CDを購入した人々の口コミによって評価を受け、アメリカはじめ、イタリア、スペイン、プエルトリコ、イラン等のインディな映画祭に招待上映され、世界的に映像作家として脚光を浴びる。 2003年、アメリカがイラク戦争を開始した3日後のニューヨークでのDJ KRUSHのライブにVJで「NO MORE WAR」と飛び入り参加。2004年、音楽フェスティバルメタモルフォーゼのThe Orb(ジ・オーブ)のVJを担当し、後にThe Orbヨーロッパ・ツアーのオフィシャル映像を手がける。nobodyknows+の「ココロオドル」ミュージッククリップなど、映像作品は脚本やカメラ、アニメーション作成から監督、編集に至るまでの行程を全て一人で担当する。 2001年、東芝社の電子レンジMEKOOR、SAZABYのバッグ、SONY社のロボットAIBO(ラッテとマカロン、31Xシリーズ)など、プロダクト・デザイン(工業デザイン)も行う。雑誌『カーサ・ブルータス』が行った世界の著名キュレーター達を迎えて日本の優れたプロダクトを選出する企画で、aibo(ラッテ)が1位に選ばれた。それまで企業のインハウス的存在であった「プロダクト・デザイナー(工業デザイナー)」という言葉を世に知らしめた。グッドデザイン賞受賞、日経デザイン賞銅賞受賞。 1999年、NHKのテレビ番組「トップランナー」に出演。番組内でDJ KRUSHのDJをバックに、ライブ・ペインティングをメディアで披露。 2000年 - 2004年、キヤノン社の世界規模の公募''キヤノン・デジタル・クリエーターズ・コンテスト''にて、グラフィック部門の審査員をイギリスのTOMATOと担当。その他、ビューティーン・ヘアカラー、エビアンのボトルパッケージ、広告、TVCM、映像、グッズ・デザイン等など、多才に多範囲にて活動中。 元国立大学法人名古屋工業大学プロジェクト准教授。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若野桂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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