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若駒 健三(わかこま けんぞう、1937年4月20日- )は、秋田県南秋田郡五城目町出身で、花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士である。最高位は西前頭8枚目(1961年11月場所)。本名は、伊藤 健三(いとう けんぞう)。 現役時代の体格は170cm、83kg。得意手は右四つ、上手投げ、内掛け。 == 来歴・人物 == 15歳の時に二所ノ関部屋へ入門し、1952年5月場所で初土俵。翌場所、「大響」の四股名で序二段に付いた。 この頃、郷土の先輩でもある元前頭3枚目・大ノ海久光が率いる芝田山部屋(後、花籠部屋に改称)へ移籍している。 2場所現役を務めるも、諸事情により、一時廃業。1953年9月、同部屋に再入門し、再度「大響」の四股名で序二段から再出発した。 以来、順調に出世し、番付に再び付いて僅か1年4ヵ月ほどで幕下に上がった。だが、これから約5年に亘り、この地位にて低迷した。 1960年7月場所、幕下上位で7勝0敗と好成績を収めて優勝し、翌9月場所で新十両昇進。同年11月場所では、十両優勝も果たした。 1961年9月場所、24歳で新入幕し、若乃花や若三杉らと共に花籠部屋「七若」の1人として活躍した。 幕内を計3場所務めたが、女性問題でやる気を失ってしまい、1962年3月場所限りで廃業した。 相撲は動きの早い、小兵だった。 将棋が強く、化粧廻しにも将棋の駒を描いていたという(柄は、王将であった)。 廃業後は、建設関連の企業を立ち上げ、その代表者を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若駒健三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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