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苻融[ふ ゆう] 苻 融(ふ ゆう、Fu Róng、生年不詳-383年 )は、五胡十六国時代の前秦の皇族。第3代皇帝の苻堅(''天王'')の異母弟(末弟〔川本『中国の歴史、中華の崩壊と拡大、魏晋南北朝』、P91〕)で、魏王・苻雄の末子。字は博休、諡号は哀公。 == 生涯 == 伯父・苻健の代に、陽平公に封ぜられる。異母兄苻堅の代になって、漢族の王猛が丞相に昇格すると、その後任として冀州牧として赴任する。彼は兄・苻堅からの信頼が篤く、冀州全域を統括しその秩序を保った。また、優れた統率力で将兵の信望を得たという。 375年に王猛が病没したために、長安に召還され、侍中・中書監・司隷校尉・太子太傅・録尚書事などを歴任。同時に、兄苻堅の夫人の張貴妃と甥の中山公・苻詵と僧侶の道安と共に東晋に遠征しないように懸命に諫言を繰り返したが聞き容れられなかった〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P94〕。 383年(建元19年)の淝水の戦いでは、彼は征南大将軍に任じられて、先鋒隊として20万の兵を率いて、東晋の寿春(安徽省寿県)を攻略した。やがて、兄が率いる本隊が到着して、東晋と決戦に臨んだ。だが、かつて東晋の梁州刺史だった降将の朱序が「後秦の大敗北!大敗北!」と突如叫んで、再び東晋に帰参して前秦を裏切って苻堅の本隊を襲撃。同時に東晋本隊の攻撃を受けたため、前秦軍は総崩れとなり、苻融は兄と共に敗走するがその最中に戦死した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「苻融」の詳細全文を読む
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