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苻詵 ( リダイレクト:苻セン ) : ウィキペディア日本語版 | 苻セン[ふ せん]
苻(ふ せん、Fu Shēn ? - 385年)は、五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝の苻堅(天王)の末子。多くの兄がいたが(嫡子の苻宏を除いて)ほとんどが妾腹であるために、末子でありながら幼くして中山公に立てられた。生母は張夫人。 == 生涯 == 幼少時から、智勇兼備の天才児であったために、父の苻堅から期待されたという。383年、に父が東晋討伐するために百万(実質的には50万)と称した大軍を率いて南下したが、その時に中山公の苻詵は生母の張夫人と叔父の苻融と僧侶の道安と共に懸命に諫言をしたという。だが、苻堅は「天下の大事、豎子安んぞ知らん(子供が天下の事に余計な口出しするな)」と聞き容れなかった。やがて淝水の戦いで謝安により派遣された謝石・謝玄らの率いる東晋軍に大敗して、苻堅は自ら国士として優遇した慕容垂の鮮卑族の軍勢に守られて、命からがら長安に逃げ帰った。だが国内では慕容沖による西燕、姚萇による後秦が反乱を起こし、前秦の勢力は大いに衰退した。 385年秋8月、苻詵は父と生母の張夫人、姉の苻宝や苻錦と共に、五将山で羌族の酋長の姚萇に捕らえられた。苻堅は姚萇に禅譲を迫られるが、これを拒否して縊り殺された。苻詵も母と姉と共に新平県の仏寺で、父の後を追うように自殺して果てた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「苻セン」の詳細全文を読む
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