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茂山千五郎家(しげやま せんごろうけ)とは、狂言大蔵流の名門。代々京都に居住し、関西を中心に活動してきたが、近年はメディアへの露出も増え、またその活動範囲も全国に拡大している。現在の当主(家長)は13世茂山千五郎(本名・正義:まさよし)。 == 家の歴史 == === 江戸時代 === 茂山家は江戸時代以来京都で狂言師として活動してきた家であったが、大蔵流の名門としての地位が確固たるものになったのは、江戸後期に9世茂山千五郎正虎(初世千作。1810年生~1886年没)が登場して以降である。正虎は京都の呉服商の息子で当初は佐々木忠三郎といったが、8世茂山久蔵英政の養子となり千吾正虎と名乗った。天保元年(1830年)に彦根城で能会が開かれた折に、彦根藩のお抱え狂言師であった小川吉五郎が「枕物狂」を上演中に急病で倒れ、その後を千吾(当時20歳)が見事に代演してみせたので、藩主の井伊直弼に気に入られ、その場で召し抱えられた。直弼は能楽好きで知られ、当時失伝していた「狸腹鼓」を復曲(俗称「彦根狸」)したり「鬼ヶ宿」を自作したりしては正虎に演じさせていた。現在この両曲が、茂山家にとって特別に大事な曲として扱われているのはそのためである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「茂山千五郎家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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