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范 漢傑(はん かんけつ、)は、中華民国の軍人。広東軍(粤軍)出身の軍人で後に国民革命軍に属す。日中戦争などで活躍したが、国共内戦では敗北、捕虜とされた。名は其迭だが、字の漢傑で知られる。 == 事績 == === 黄埔軍官学校第1期生 === 父の范之准は故郷で梓里公学を創設、校長を務め、范漢傑自身も同学校で学んでいる。1910年(宣統2年)、范漢傑は広州に移り、優級師範附属理科で学び、翌年夏には広東陸軍測量学校第5期三角科天文測量班に入学した。1913年(民国2年)に卒業すると、広東陸軍測量局三角課課員となり、同省で測量業務に携わっている。1918年(民国7年)からは広東軍(粤軍)総司令陳炯明の総司令部に属し、翌年、福建漳厦測量隊長を務めた。1920年(民国9年)、江西省に移り、塩務署緝私総稽九江緝私船管帯(船長)に就任し、まもなく軍艦「江平」艦長に転じている。1923年(民国12年)からは劉震寰率いる広西軍(桂軍)の総司令部で中校参謀に起用され、後に第6路司令まで昇進した。〔夏(2002)、265頁。〕〔徐主編(2007)、849頁。〕〔劉国銘主編(2005)、1471頁。〕 1924年(民国13年)、范漢傑は黄埔軍官学校に第1期生として入学する。卒業後は教導第1団・第2団に配属、1925年には粤軍第1師総司令部で総司令部少校参謀となり、さらに同師第1旅中校主任参謀に昇進した。同年8月、国民革命軍成立とともに粤軍第1師は第4軍に拡充され、范は同軍第10師に所属する。以後、東征(陳炯明討伐)、劉震寰・楊希閔討伐、北伐に従軍し、軍功をあげて第10師副師長に昇進した。1927年(民国16年)4月に蒋介石が上海クーデターを起こすと、蒋介石支持に転じた第10師師長蒋光鼐に随従して北伐から離脱、南京に移る。范は蒋介石から浙江警備司令に任ぜられ、同年8月には国民革命軍第8路軍総司令部中将高等参謀に昇進している。まもなく、范は軍事・政治・経済の視察目的で日本とドイツを外遊することになり、満州事変が勃発した1931年(民国20年)9月まで海外に在った。〔夏(2002)、265-266頁。〕〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「范漢傑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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