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カルメル山の聖母のスカプラリオ(茶色のスカプラリオとしても知られる。)は、カルメル修道会との修道服である。「カルメル山の聖母」は聖母マリアの、先述の2つの修道会の保護者としての役目の名称である〔from"Pope St. Pius XII declared in 1951 during the 700th anniversary celebrations of the vision of Our Lady to St. Simon Stock" (from his Apostolic letter ''Neminem profecto latet'') source: Hugh Clarke, O.Carm Mary and the Brown Scapular ; Carmelite Province of Our Lady of the Assumption; Anglo Irish Province of the Discalced Carmelites, 1994. (booklet)〕。このスカラプリオの小型版は、宗教的なアイテムとして、そして他の信仰者用スカラプリオのプロトタイプとして、カトリック教会の中で広く一般的に普及している。カルメル山の聖母マリアの祝日は 7月16日で、一般的にこの日に茶色のスカプラリオを授与される。 バチカン教皇庁(聖座)(Sancta Sedes)の典礼秘跡省(Congregatio de Cultu Divino et Disciplina Sacramentorum)では、茶色のスカプラリオは、「御子と、母でありカルメル山の女王である聖母マリア、の親子関係を形度ったもので、それを身に付ける者は自分自身の全てを彼女の保護に任せる忠実な支持者であり、聖母の仲裁に頼り、精神的な生命の優越性と祈りの要を心にとめて忘れない。」と発言した〔Congregation for Divine Worship and the Discipline of the Sacraments; Directory on Popular Piety and the Liturgy. Principles and Guidelines. Vatican, 2001.〕。 == 起源と信仰の歴史 == スカラプリオが実際に衣服の一部として着用された起源は、実際に労働する時の前かけの一種としてであり、頻繁に修道士に着用されていたものであった。大きな布切れを2枚、小さな小切れを使って肩越しに前と後ろにつながる形となる。それはいくつかの修道会の修道服に組み込まれていった。その修道会の中にはカルメル山の聖母の修道士、カルメル会も入っていた。当初のカルメル会の隠修士(hermit)が、カルメル山の聖地に12世紀まで暮らしていた時は、彼らが腰紐が付いたチュニックとストライプのマントといった巡礼者特有の格好をしていた。カルメル会が13世紀の中旬にヨーロッパへ移動し、そして托鉢修道会の修道士となった。その時彼らは茶色の腰ひもを使ったチュニック、茶色いスカプラリオ、カプチン(capuche)と呼ばれる頭巾を取り入れた新しい修道服、白いマントを採用した〔Andrew Jotischky; ''The Carmelites and Antiquity. Mendicants and their Pasts in the Middle Ages'' . Oxford: Oxford University Press, 2002.〕。 伝統的な説明によると、聖母マリアがケンブリッジ(Cambridge)の聖サイモン・ストック(Simon Stock)のもとに現れた。彼は13世紀中頃のカルメル会の総会長である〔Louis Saggi, O.Carm; Saint Simon Stock (XIII Century) Saint, Priest - Scholarly historical information〕初期のこの伝説は、14世紀後半からのものであり、次のように記録されている。「聖サイモンはイギリス人であり、偉大な聖人で敬謙な信仰を有し、そして彼はいつも自分の祈りの中で、聖母に彼の修道会に対し、いくつかの願い事をしていた。すると聖母が彼のもとに現れ、彼にスカプラリオを手渡してこう言った。「これをあなたに授けます。これはあなたたちへの恵みです。これを身に付けて死ぬものは救われるでしょう。」〔Eamon R. Carroll, O.Carm; Medieval Devotion to Mary Among the Carmelites 〕 中世期になると、修道服は修道会の会員に取って非常に重要な位置を占めるアイデンティであった。修道服を脱ぐと言うことは修道会を去ることを意味していた〔。 1369年のカルメル会の会則では、スカプラリオを着用せずにミサを司式すると、カルメル会を自動的に破門となる、と明記している。1324年から1394年のカルメル会会則はスカプラリオを着用せずに就寝することは、深刻な違反であると見做していた〔http://www.ewtn.com/library/SCRIPTUR/SCAPULAR.TXT Most, William. "The Brown Scapular"]〕。 「スカプラリオ信仰の起源は、中世において、修道者ではない一般の信仰者からカルメル会とその霊性に深く関係したいという願いが見られたことによる。」と言う意見もある〔Hugh Clarke, O.Carm http://www.carmelite.org.uk/acatalog/Online_Catalogue_MARY___THE_BROWN_SCAPULAR_50.html Mary and the Brown Scapular]; Carmelite Province of Our Lady of the Assumption; Anglo Irish Province of the Discalced Carmelites, 1994. (booklet)〕。一般信者で、フラタニティや信徒会、カルメル会の第三会(en)に属する人々にとって、そこに所属する現れとなるものを身に纏うことは慣例的なものであった。特に修道服の一部に関連したもので、腰紐や外套、スカプラリオなどである。カルメル会の信徒会では托鉢修道士が着用していた白い外套を見に纏っていた。修道服そのものまで着用していた時期もある〔。 一般的になじみが深い形である小さな茶色のスカプラリオと、聖母がそれを着衣する者への救済の約束は、カルメル会の総会長だったジョバンニ・ダッティスタ・ロッシ(Giovanni Battista Rossi)によって、一般信徒の中で広まり、昇格し始めた〔Bede Edwards, OCDS. ''Carmel Clarion'' Volume XXI, pp 17-22. "St. Simon Stock--The Scapular Vision & the Brown Scapular Devotion." July–August 2005, Discalced Carmelite Secular Order, Washington Province.〕。 カルメル会のスカプラリオがヨーロッパに広く広まったのは、16世紀の終わり頃と言われている。1600年のカルメル会修道士イジディオ・リオディリカト・ダ・シャカ (Egidio Leoindelicato da Sciacca) は、「ガルディーノ カメリタノ」(Giardino Carmelitano)を著したが、これには、修道士への祝福方法、完全な修道服を受け取った一般信者、在俗カルメル会用のスカプラリオの祝福の方法が記載されている。これは、初期の一般信者向けのスカプラリオの祝福の方法である。修道女用のスカプラリオへの言及は何も含まれておらず、一方、修道士については、スカプラリオについて特別の祝福の方法があることもまた注目すべき点である〔Hilgers, Joseph. "Scapular." The Catholic Encyclopedia. Vol. 13. New York: Robert Appleton Company, 1912. 22 Dec. 2014 〕。 〔Hilgers, Joseph. "Scapular." The Catholic Encyclopedia. Vol. 13. New York: Robert Appleton Company, 1912. 22 Dec. 2014 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「茶色のスカプラリオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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