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荀偃 ( リダイレクト:中行偃 ) : ウィキペディア日本語版
中行偃[ちゅうこう えん]
中行 偃(ちゅうこう えん、? - 紀元前554年2月20日)は、中国春秋時代政治家将軍は不明、、もしくは祖父の官職名から中行伯游荀林父の孫で荀庚(中行庚・中行宣子)の子。荀偃中行献子とも呼ばれる。
==生涯==

===晋公弑逆===
中行偃は晋の名門荀氏の本家中行氏の嫡子であり、紀元前575年に起きた鄢陵の戦いでは上軍の佐として、を打ち破る一助を成す。だが、その直後に次卿・中軍の佐の士燮が亡くなり、更に厲公が郤氏を滅ぼした事で、その後釜として次卿・中軍の佐に二階級昇進するものの、厲公の専横ぶりに危機感を抱き、紀元前573年欒書の誘いに応じて厲公を弑殺する。そして、襄公の孫の孫周(後の悼公)を晋公として迎え入れるが、弑逆の責任を取って上軍の佐への降格を申し出て受理される。
その後は悼公の下で、弑逆の汚名返上の為に政治や軍事で活躍する。そして紀元前560年に正卿・中軍の将の智罃が亡くなった際、次卿・中軍の佐にあった士匄がその後釜に任じられたが、士匄はそれを辞退し、当時上軍の将にあった中行偃を推挙した。この事で中行偃は弑逆の汚名を返上したかに思えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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