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草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日(弘化3年1月2日) - 1924年(大正13年)8月9日)は、幕末紀州藩の重臣、実業家、大学東校総幹事などを務めた。 == 経歴 == 紀伊国生まれ。紀州藩士草郷家の四男。13歳で父親を亡くし、勢州奉行三木家に寄居し、四書五経や漢文を読破したのち、紀州藩の武芸に励む。京の開成所を経て、慶應義塾に入る。のち帰郷し紀州藩騎兵指揮官となり、明治元年に鳥羽・伏見の戦いで官軍と共に大阪城に入城したが、鳥尾小弥太に後事を託して大阪の兵舎を脱走し、海路を経て再び江戸に上った。 慶應義塾に寄食し、塾監などを務めて義塾内に「代言社」を創設して社長となる。1874年(明治7年)文部省の要請で大学東校の幹事となる。次いで横浜正金銀行に入り、筑豊鉄道に赴き、小田原電気鉄道の社長となり、九州鉄道取締役となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「草郷清四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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