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荒井 英郎(あらい ひでお〔、1911年6月28日 - 1987年10月18日〔)は、日本の映画監督、脚本家である。 == 人物・来歴 == 1911年(明治44年)6月28日、東京府(現在の東京都)に生まれる〔。 文化学院に入学、在学中に松竹キネマ(現在の松竹)に入社する〔。助監督として、五所平之助、佐々木康、渋谷実らに師事する〔#外部リンク欄、日本映画データベース、本項リンク先の記述を参照。2009年10月4日閲覧、二重リンクは省く。〕。同学院卒業後、1940年(昭和15年)に『海を照らす人々』で監督としてデビューする〔。 第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)に松竹を退社し、フリーランスとなる〔。 1953年(昭和28年)、月の輪古墳発掘運動に取材したドキュメンタリー映画『月の輪古墳』〔プログラムA 作品紹介 、日本記録映画作家協会50周年記念映画祭ブログ、2009年10月4日閲覧。〕で教育映画祭最高賞を受賞した〔。1955年(昭和30年)には、東京都立朝鮮人学校閉鎖に取材し、在日朝鮮人学校全国PTA連合会、在日朝鮮人教育者同盟、在日朝鮮映画人集団による「朝鮮の子製作委員会」製作によるドキュメンタリー映画『朝鮮の子』を監督する〔YIDFF 2005 公式カタログ 、山形国際ドキュメンタリー映画祭、2009年10月4日閲覧。〕。 1975年(昭和50年)、横須賀海軍施設に取材し『われわれは監視する - 核基地横須賀』を監督、ライプツィヒ国際ドキュメンタリー・アニメーション映画祭で金鳩賞を受賞した〔。 1987年(昭和62年)10月18日、死去した〔。満76歳没。 没後、1993年(平成5年)4月、坂崎武彦編著による書籍『動く絵の作家荒井英郎』が刊行された。2005年(平成17年)、山形国際ドキュメンタリー映画祭で、監督作『朝鮮の子』が上映された〔。2006年(平成18年)4月20日、日本記録映画作家協会が主催した「日本記録映画作家協会50周年記念映画祭」で、監督作『われわれは監視する - 核基地横須賀』が上映された〔プログラムC 作品紹介 、日本記録映画作家協会50周年記念映画祭ブログ、2006年1月23日付、2009年10月4日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒井英郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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