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荒尾善次 : ミニ英和和英辞書
荒尾善次[あらお よしつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [ぜん]
 【名詞】 1. good 2. goodness 3. right 4. virtue 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

荒尾善次 : ウィキペディア日本語版
荒尾善次[あらお よしつぐ]
荒尾 善次(あらお よしつぐ、永正5年(1508年) - 天正18年12月13日1591年1月8日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏の家臣。通称は作右衛門。受領名美作。父は佐治為貞。正室は荒尾空善娘。後妻に水野信元娘〔『寛政重修諸家譜』新訂10巻329項。この妻は徳川家康の従姉妹。〕。子に善久(小太郎、美作守。織田信長に仕えて三方ヶ原の戦いで戦死。)、善応院(池田恒興室)、成房隆重がいる。号は閑斎。法名は道圓〔法名は編纂時の旗本家呈譜によるとする『寛政重修諸家譜』の記述からの類推。また出生年については数え83歳で三河国西郡(愛知県蒲郡市)で没したとする同書の記述に拠った。〕。
== 経歴 ==
尾張国知多郡大野城主・佐治為貞の子として誕生する。今川義元の尾張国への侵攻により戦死した同知多郡木田城主・荒尾小太郎空善の名跡を継承し荒尾姓を名乗ったという。
織田信長に仕えて荒尾村(愛知県東海市)を領し、今川勢と対峙して木田城を守った。しかし弘治元年(1555年)に始まった義元の尾張国進攻によって、同3年には知多の諸勢の多くが今川方に投降したと言われており(『松平記』巻1)、永禄3年(1560年桶狭間の戦いの際には、善次も同様の立場に置かれていたと考えられる(『知多郡史』上巻254項)。そのため桶狭間の戦い以後は隠居した。
  

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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