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荒川久壽男 : ミニ英和和英辞書
荒川久壽男[あらかわ くすお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

荒川久壽男 : ウィキペディア日本語版
荒川久壽男[あらかわ くすお]
荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年大正7年)6月11日 - 1986年昭和61年)12月31日)は、日本歴史学者。元皇學館大学教授
== 略伝 ==
1918年(大正7年)6月、茨城県に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)・水戸高等学校を経て、1941年(昭和16年)3月、東京帝国大学文学部国史学科を卒業。直ちに同大学副手。1942年(昭和17年)1月、海軍教授となり、土浦と三重の海軍航空隊で教鞭をとった。
戦後は1947年4月茨城県日立市立中学校(現在の茨城県立日立工業高等学校教諭、48年7月茨城県立水海道第一高等学校教諭、58年4月茨城県立水戸第二高等学校教諭、1964年(昭和39年)4月皇學館大学助教授1968年(昭和43年)教授。
専門は日本近世近代思想史で、東京帝大在学中より水戸学の研究に従事した。また、1980年6月には、家永教科書裁判の国側証人として意見陳述を行った。
晩年、腹膜・結腸の癌のため片眼を失明したのちは、研究論文の執筆に全力を傾注し、『水戸史学の現代的意義』『新井白石の学問思想の研究』『明治の精神』を著した。没後1987年1月、正六位勲四等瑞宝章に叙される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒川久壽男」の詳細全文を読む




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