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荒川宗一 : ミニ英和和英辞書
荒川宗一[あらかわ そういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [いち]
  1. (num) one 

荒川宗一 : ウィキペディア日本語版
荒川宗一[あらかわ そういち]

荒川 宗一(あらかわ そういち、1925年9月1日 - 2010年8月24日)は、静岡県出身のプロ野球選手外野手)。
== 来歴・人物 ==
掛川中ではエースだったが、全国大会が戦争の影響により中止されたため、甲子園出場はならなかった。
早稲田大学進学後は打者転向し、早稲田大学野球部の黄金時代に主力選手として貢献。東京六大学リーグ通算86試合出場、320打数94安打、打率.294、1本塁打、55打点。卒業後は大昭和製紙都市対抗野球大会に出場し、全日本へ選抜される活躍をみせた。
1956年日本プロ野球高橋ユニオンズに30歳で入団。高橋は戦力不足の弱小チームだったこともあり、プロ1年目ながら4番打者に定着し、149試合に出場した。しかし、翌1957年2月に高橋ユニオンズは解散、荒川は大映ユニオンズへ移籍した〔「別冊週刊ベースボール早春号 プロ野球 新・トレード史」(平成10年2月28日発行)、ベースボール・マガジン社〕が、出場はできなかった。
現役引退後は、帝京大学の総監督を務めたり、早稲田大学野球部OB会長を務めるなど、学生野球の発展及び興隆に長く貢献していた。
2010年8月24日胃癌のために逝去〔元早大野球部OB会長の荒川氏が死去 スポーツ報知 2010年8月26日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒川宗一」の詳細全文を読む




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