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荒川 眞嗣(あらかわ まさつぐ、1964年3月4日〔「'86年のホープを捜せ! 56人」『アニメージュ』1986年1月号、徳間書店、p.28〕 - )は宮城県出身〔の監督、アニメ演出家、アニメーター。荒川真嗣とクレジットされることがある。 == 経歴 == 学校法人南光学園 東北高等学校を1982年に卒業。宮崎駿のファンで、テレコム・アニメーションフィルムの新人募集に応募して落選するも、大塚康生から亜細亜堂を紹介されて入社〔。1985年に亜細亜堂からテレビアニメ『おねがい!サミアどん』でデビュー。1988年にIGタツノコ(現・Production I.G)へ移る。以後、同社を拠点に活動し〔『V VERSION』1990年9月号、みのり書房、p.10〕、シンエイ動画を中心に数多くの他社制作作品に携わる。 1996年からProduction I.Gで押井守が主宰していた押井塾に参加。いくつもの企画を提出して、同塾で初のA評価を押井守から下された。同塾に参加した神山健治からは「器をまとめるのがうまい」と言われた〔「押井塾からBLOOD THE LAST VAMPIREへ」『キネマ旬報』2000年12月上旬号、キネマ旬報社。〕。 絵柄はペーター佐藤とアニメーターの大川弘義からの影響を受けたとしており、リアルでシンプルな絵柄を好む〔。1998年にはProduction I.Gがアニメパートを制作したゲーム『雪割りの花』ではキャラクターデザインと作画監督を担当し、アニメーターの湯浅政明はそのシンプルなデザインがいいと発言していた〔小黒祐一郎「この人に話を聞きたい」『アニメージュ』1999年2月号(小黒祐一郎『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、2006年、所収)〕。 I.Gを離れた後はスタジオロンに在籍し、同社オリジナル作品『大きな瞳のフウ』の監督とキャラクターデザインを手がける予定だったが、同社の閉鎖によって立ち消えとなり、フリーランスに転じる。メインスタッフとして作品に参加する場合は谷津美弥子が、脚本家(シリーズ構成)は、山田隆司・井上美緒(めちゃモテ委員長セカンドコレクションを除く。〔これは、山田と井上が、めちゃモテ委員長と同じバンダイがスポンサーである 『ハートキャッチプリキュア!』の脚本に参加しているため。〕)と組むことが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒川真嗣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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