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荒川鉱山(あらかわこうざん)は、秋田県仙北郡荒川村(現・大仙市協和荒川)に存在した銅山である。 == 概要 == 1700年(元禄13年)、川村庄右衛門によって発見された。1738年(元文3年)からは、久保田藩の直山として開発が進められた。1876年(明治9年)に明治政府から盛岡の瀬川安五郎が払い下げを受ける。同年に「嗽沢抗」から大鉱脈が発見されるなどして、240年に渡って国内屈指の銅鉱山として栄えた〔秋田の荒川鉱山、展示を再開 観光用坑道崩落から2年 朝日新聞 2008年04月13日〕。 1896年(明治29年)から三菱合資会社が鉱業権を所有した後は、製錬所や中央選鉱所、発電所などの設備の近代化が図られた。 これらにより、鉱山町が形成され、荒川村役場や郵便局、駐在所、浴場、病院、劇場「共楽館」、大盛小学校などが建設された〔。共楽館では、演劇や映画の他、宝塚歌劇団や歌舞伎の公演なども行われていた。明治11年に設立された大盛小学校は〔、仙北郡内では大曲小学校に次ぐ800人の生徒数を誇っていた。1897年(明治30年)には秋田市よりも約3年早く電灯が導入されるなどして、人口も最盛期には約4000人、周辺を含めると8000人に達するなど〔、県内有数の近代都市へと変貌した。坑道の全長は53Kmに達した〔。 1935年(昭和10年)には資源の枯渇などにより、三菱鉱業尾去沢鉱業所荒川支所に縮小され、1940年(昭和15年)に閉山した。鉱員の一部は、近隣にある宮田又鉱山に移った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒川鉱山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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