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荒巻セントラルプラザ : ミニ英和和英辞書
荒巻セントラルプラザ[あらまきせんとらるぷらざ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

荒巻 : [あらまき]
 【名詞】 1. salted salmon 2. fish wrapped in (bamboo) leaves
: [まき]
 【名詞】 1. volume 

荒巻セントラルプラザ : ウィキペディア日本語版
荒巻セントラルプラザ[あらまきせんとらるぷらざ]

荒巻セントラルプラザ(あらまきセントラルプラザ)は、宮城県仙台市青葉区荒巻本沢にかつて存在したショッピングセンター。地元住民からは「センプラ」と呼ばれていた。賃貸マンションの「ハイネス荒巻」〔「ハイネス荒巻」は1978年(昭和53年)12月竣工の賃貸マンション。報道では「15階建て」と「14階建て」の2通りの記述あり。戸数も「220戸」「209戸」などの記述がある。震災時の入居世帯数も「119世帯」「105世帯」などの記述がある。〕を併設する。
東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で被災したため閉鎖された。
== 概要 ==
核店舗として1階に宮城県初出店のヨークベニマル荒巻店(食料品のみの扱い)、2階にエンドーチェーン荒巻店が衣料品雑貨のみの扱いで入居し、地下1階から2階まで専門店が多数入る構成で1977年昭和52年)12月に開業し、現在主流の2核1モール型店舗の先駆けとなった。場所は梅田川中流左岸(北岸)にある滝道山の東麓で、市道荒巻泉線〔仙台市道青葉254号・荒巻泉線(。最小幅員5.00m、最大幅員16.98m、延長2837.0m)〕沿いである()。
当時の七北田丘陵では、仙台市北西部(現:青葉区)および隣接する宮城町(現:青葉区)と泉市(現:泉区)において中山、吉成、西勝山、桜ヶ丘、川平、水の森、長命ヶ丘など、富谷丘陵西部では泉パークタウン高森などの郊外住宅地が大量供給され、同時に一般市民のモータリゼーションも進展していた。当プラザは、これらの新興住宅地などから仙台市都心部、あるいは明治時代から開発されてきた梅田川右岸(南岸)の北山丘陵の住宅地から北仙台に向かう自動車動線が集中する荒巻中央の交差点()に隣接し、大規模な屋上駐車場を備えたロードサイド店舗総合スーパー(GMS)として開業当初から広域な商圏を形成した。当時社会現象となった「スペースインベーダー」から児童向け遊具まで各種遊戯設備の充実に加え、「ファミコン」などの人気商品も仙台市中心部まで赴かずに当プラザ内で購入が可能だった為、常に大勢の来店客で賑わい、屋上駐車場のみでは収容し切れず数十台を収容出来る第二駐車場()も設置した。それでも来店客の車が溢れ、当プラザ周辺の細道には路上駐車が横行した。また、駐車待ちの車列が市道荒巻泉線〔におよび、変則五叉路の荒巻中央の交差点まで深刻な渋滞箇所となった。
梅田川をはさんで本沢2丁目にAコープ宮城〔エーコープ宮城 〕が平面駐車場を備えた店舗(Aコープ荒巻店)を開店したが、当プラザの集客力には勝てずに閉店。しかし、1987年昭和62年)に、宮城県道264号大衡仙台線沿いにみやぎ生協桜ヶ丘店が開業し、1988年昭和63年)11月に供用開始された宮城県道37号仙台北環状線沿いなどに当プラザを凌ぐ大規模GMSなどが次々と開業すると、入店するのに渋滞を覚悟しなくてはならない当プラザは敬遠されて、徐々に近隣型スーパー(NSC)に近い状態になっていった。
2010年平成22年)9月、当プラザ背後を通過する県道大衡仙台線の本沢工区が開通し、当プラザ前の市道荒巻泉線〔のバイパスの位置付けとなったため、当プラザは旧道あるいは裏道に面する商業施設となった。また、核店舗の「ヨークベニマル荒巻店」(店舗面積:約300〔(仙台市)〕)が同年10月10日を以って閉店し、「ヨークベニマル新荒巻店」(店舗面積:600坪強〔)として駐車場132台を備えて県道大衡仙台線の本沢工区沿いに同年10月15日移転・開業した〔(仙台市)〕〔ヨークベニマル/宮城県仙台市にスクラップ&ビルドで「新荒巻店」開店 (ロジスティクス・パートナー「流通ニュース」 2010年10月15日)〕。核店舗が抜けた当プラザは震災前より存亡の危機に立たされていた。
なお、当プラザのビルとマンション「ハイネス荒巻」〔()は、所有者が2009年(平成21年)に失踪し、裁判所の管理下になっていた〔都市型建物被害深刻 849棟「倒壊の恐れ」 (河北新報 2011年3月29日)〕。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で建物に被害が出たが、仙台市による応急危険度判定の対象にならず、裁判所が独自委託する形で調査が行われた〔。結果、倒壊はしないものの使用には適さない状態と判断され、当プラザは全館閉鎖し、ハイネス荒巻では7月末までに全世帯の退去が完了した〔〔震災で被害のマンション4階から出火 たばこの吸い殻、脱糞 人が入った形跡 放火?たばこ? 産経新聞 2011年10月7日)〕。居住者は応急仮設住宅の入居資格を得ている。
その後、建物の所有者はランドクリエイト株式会社(広島市)の東京支店に移り、建物を解体する考えが町内会に示され、2012年(平成24年)末から解体工事が始まり、アスベスト除去等のため約3ヶ月遅れの2014年(平成26年)1月末に終了する予定で進められた〔廃墟化した巨大マンション、解体へ 仙台のハイネス荒巻とセントラルプラザ (当該地域の町内会長のブログ 河北新報 ONLE COMMUNITY 2012年5月17日)〕〔巨大マンションの解体、終盤へ 売りに出た跡地、何が建つのか (当該地域の町内会長のブログ 河北新報 ONLE COMMUNITY 2013年8月15日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荒巻セントラルプラザ」の詳細全文を読む




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