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荒木 しげる(あらき しげる、1949年2月9日 - 2012年4月14日)は、日本の俳優、ドラマー。フォークグループ「フォー・セインツ」のメンバー。本名:荒木 生徳(あらき いくのり)〔、旧芸名:荒木 茂(読み同じ)。 鹿児島県出水市出身〔。身長174cm、体重68kg、血液型はB型。日本学園高等学校〔、玉川大学卒業。妻は元女優で現在書道家の樋口のり子。前妻との間の娘は女優の三枝りな。 == 略歴 == 高校時代に渋谷でスカウトされ、男性ファッション誌などでモデルを務める。玉川大学在学中の1968年にカレッジフォークグループフォー・セインツのドラムスとしてデビュー〔。「小さな日記」「希望」「冬物語」などのヒット曲を生み出す。 1973年の解散後は、CMモデルを経て俳優に転向。当初は本名で活動していたが、1975年、『仮面ライダーストロンガー』に「城茂」役で主演したことから荒木 茂に改名した。のちに荒木しげるに改名(1983年 - 1988年までは、再度「茂」を名乗る)。 その後、『超神ビビューン』でふたたびヒーロー役を演じ、『特捜最前線』『暴れん坊将軍』では長期にわたってレギュラーで活躍した。2000年にはシングル「失恋日記 / 雨情話」をリリースし、音楽活動を再開している。 2008年にはフォー・セインツの再結成に参加。新曲「この街で」をリリースし、各地でライブを開催する。 2007年4月の統一地方選挙で東京都目黒区議会議員選に立候補するが、48人中45位で落選〔目黒区議会議員選挙 平成27年4月26日執行 (PDFファイル)、目黒区。〕。選挙後のインタビューで「どうやったら区議会議員に受かるか、もう分かった。でも4年後またやるかというと、もうやりたくない」と発言していたが、その後の4年間に食道癌の摘出手術を受ける体験を経て、考え直したことで2011年4月の統一地方選挙で東京都目黒区議会議員選にもう1度立候補するが、再び55人中51位で落選している〔スポーツ報知新聞2007年4月23日版、2011年4月25日版より〕〔。 2011年は仮面ライダー生誕40周年でもあったので、選挙前から落選後もライダー関連のイベントには積極的に参加している。その間、東京・駒込にて「スナック・どっと混む」(2010年閉店)のマスターも務め、同店を通じファンとの交流なども積極的に行っていたが、癌の治療によって食が細り、体力が落ちてきたことで体調を崩すことが多くなっていた。 2012年4月2日、娘の大学の入学式当日に東京都内の病院に入院する。その11日後の2012年4月14日アスペルギルス症併発の肺炎のため、東京都内の病院で死去。同17、18日に目黒区内にて葬儀が行われた。。 遺作は、往年の仮面ライダーシリーズのプロデューサー平山亨の門下生が制作に参加した、特撮オリジナルビデオ『バレットリヴァース』。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒木しげる」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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