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荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、日本の俳優、歌手、音楽プロデューサー、実業家、小説家、マジック評論家、カードマジック研究家。 東京都出身。母親は女優の荒木道子。父親は文芸評論家の菊池章一。元妻は女優の榊ひろみ。 水木京子(順子)、ナポレオン、枯木華、すずきすずか名義による作品もある。 == 略歴 == 9歳で文学座アトリエ公演に出演し、俳優としての初舞台を踏む。高校時代はモダンジャズに傾倒し、バンドを組み、作詞と作曲を始める。同級生に佐藤信 (演出家)がいた〔高平哲郎『みんな不良少年だった』p.122〕。1962年、切手コレクションで第18回全日本切手展グランプリ受賞。1963年、青山学院高等部卒業。在学中の成績はほとんど「1」ばかりで、「1マイナス」もあったので本来卒業できないところだったが、教師の計らいで論文を提出して卒業を認定された〔高平哲郎『みんな不良少年だった』p.123〕。 文学座に在籍して俳優業を開始、『バス通り裏』でデビュー。一方で音楽の才能も注目され、東海ラジオの番組『星に唄おう』のDJを務め、そのテーマ曲『空に星があるように』で、ビクター音楽産業から1966年に歌手デビュー。同年、『空に星があるように』で第8回日本レコード大賞新人賞を受賞。 1966年、東映『893愚連隊』で映画評論初の新人男優賞受賞。1966年、ファーストアルバム『ある若者の歌』で芸術祭文部大臣奨励賞受賞。1967年、『いとしのマックス』で第18回NHK紅白歌合戦出場。 1969年、1月31日午後5時過ぎ頃、母親同伴で面会に来た芸能界志望の17歳の女子高生と六本木の喫茶店で会ったのち、「女優としての素質をテストする」と称して少女のみを喫茶店近くの事務所兼のマンションへと連れ出し、左頚部や左肩などに全治5日間の打撲傷などを負わせたとの理由で告訴され、2月7日に強制猥褻致傷の容疑で町田警察署に逮捕され、八王子区検察庁に身柄送検されたスキャンダル〔日刊ゲンダイ|ワイセツ事件で無罪放免になった荒木一郎 〕(のち女子高生の告訴取下げにより不起訴となる)で一度表舞台から姿を消す。このとき、所属事務所のビクターとは「一応辞表を出せ。どうせ不起訴になるだろうから、辞表は不受理にする」という話になっていたが、実際に辞表を出すとあっさり受理されて3年間の謹慎となった〔高平哲郎『みんな不良少年だった』p.130〕。そんな状況下でも8トラックカートリッジでの作品発表など地道な活動を続け、1971年に完全復活。謹慎中から東映で杉本美樹や池玲子といったタレントのマネージメントを始めて成功〔高平哲郎『みんな不良少年だった』p.131〕。以後、他アーティストのプロデュースや映像作品の音楽制作なども含め、幅広い活動を行っている。 30歳頃から3年半にわたって桃井かおりのマネージャーを務める。俳優業としては、中島貞夫監督の映画『893愚連隊』(1966年)のチンピラ役、テレビドラマでは倉本聰の秀作の一つ『たとえば、愛』(1979年、TBS)での大原麗子扮するDJ工藤冬子の上司・姑息なディレクター役などで強い印象を残した。また名作『仁義なき戦い』の第3作『代理戦争』(1973年、東映)で出演が決まっていたが「広島ロケが恐い」と降板、代わりに抜擢された大部屋俳優・川谷拓三が世に出たという有名なエピソードがある。チンピラ、ヒモ、小悪党などの役や低予算B級映画でもまったく忌避せず、むしろ好んで出る傾向にある。作曲担当、音楽監督のみでの参加も少なくない。 音楽活動では平尾昌晃と交流があり、その縁で平尾が音楽を担当した必殺シリーズに参加することになり、『必殺仕業人』『必殺からくり人』の主題歌を作詞した。また、『仕業人』では自ら挿入歌を歌っている。 自伝的小説『ありんこアフター・ダーク』、『シャワールームの女』(大和書房)や『雨の日にはプッシィ・ブルースを』(河出書房新社)といったハードボイルド・ミステリー小説を書いている。『ありんこアフター・ダーク』で直木賞候補になったと紹介されることもあるが〔日外アソシエーツ「BOOK著者紹介情報」 〕、そのような事実は存在しない。 1980年代後半からは活動を大幅に減らしているが、2001年には他アーティストとの共演によるアルバム『BEST FRIEND & BEST COLLECTION』を制作、2002年には青山劇場でライブを行うなど、近年再び本格的な活動を始めている。2010年には、北沢タウンホールにて、8年ぶりとなるライブ『Ichiro Araki 3 Days』を行い、2011年には同ライブのDVDBOXをUP LINKから発売。 マジック評論家としては、1998年に設立されたマジックサークル「プリンあらモードMagic Club」の会長を務め、またマジックに関する著書も執筆している。 趣味の将棋は四段の腕を持つ。 アムウェイのディストリビューターとしても有名で、長年同社ビジネスの広告塔の役割を果たしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒木一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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