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荒木 飛呂彦(あらき ひろひこ、1960年6月7日 - )は、日本の漫画家。宮城県仙台市〔知事メッセージ 荒木飛呂彦氏によるイラスト 〕若林区〔杜王新報〕出身。東北学院榴ヶ岡高等学校卒、宮城教育大学中退、仙台デザイン専門学校卒。身長169.5cm、体重(2007年現在)61kg、血液型はB型。既婚者で二女の父。本名は利之 1980年(昭和55年)、「武装ポーカー」でデビュー(荒木 利之(あらき としゆき)名義〔「次号予告」『週刊少年ジャンプ』1980年52号、331頁〕)。代表作は『週刊少年ジャンプ』(集英社)1987年1・2号から連載開始された『ジョジョの奇妙な冒険』〔。同作品は複数の部に分かれ、主人公や舞台を変えながら20年以上に渡って連載され続けており、シリーズ総計115巻(2015年12月現在)、発行部数は9000万部(2014年9月時点)〔MEDIA GUIDE 2013 集英社AD NAVI〕。その作風は「王道を行きながら実験的」と評されている〔斎藤環「書き続ける勇気 荒木飛呂彦インタビュー」『ユリイカ』1997年4月号、135頁-143頁〕〔『QuickJapan』Vol.75、巻頭ページ(文・吉田大助)〕。 == 略歴 == 小学生時代は少年野球をしており、中学時代は剣道部に所属〔。幼少期から「ひとりの世界」に浸るのが好きで、早くから漫画も描いていた。当時は梶原一騎の漫画作品『巨人の星』(川崎のぼる画)、『あしたのジョー』(ちばてつや画)などを愛読〔、また白土三平の忍者・歴史漫画『サスケ』と『カムイ伝』の理論的な作風に影響を受けた〔吉田大助「荒木飛呂彦 12000字インタビュー」『QuickJapan』Vol.75、90頁-98頁〕。小説では江戸川乱歩や『シャーロック・ホームズ』シリーズをよく読んでいたという〔石井洋「人物研究 荒木飛呂彦」『Men's Non-no』2002年7月号、160頁-163頁〕。なお荒木には4つ下の双子の妹がおり、この2人の仲が良かったため、「家族の中で疎外感を抱いていたため、ひとりで何かを楽しむことが余計に好きになったのだと思う」とインタビューで語っている〔〔。 高校時代はロードレース部に所属〔。この頃に横山光輝のサスペンス作品を愛読する。特に学生服の主人公が古代遺跡を探検する『バビル2世』は『ジョジョの奇妙な冒険』Part3のモチーフに影響を与えており〔、インタビューでは「自分の原点」とも述べている〔まんが天国 マンガのチカラ「荒木飛呂彦先生インタビュー その2」 (2009年4月11日時点のアーカイブ)〕。 16歳の時に同い年のゆでたまごが『週刊少年ジャンプ』でデビューしたことに焦りを感じ、高校3年の時に初投稿、以後何度か投稿を重ね、専門学校在学中の1980年(昭和55年)に「武装ポーカー」で第20回手塚賞〔授賞式の際の映像が1981年(昭和56年)5月25日のNHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』にて放送された。この中で手塚治虫は荒木の作品について「大変興味がある」「早く上京して来て下さい。東北出身は少ないから」というコメントを残している。〕に準入選しデビュー。 デビュー後は、仙台に在住したまま『週刊少年ジャンプ』で『魔少年ビーティー』を執筆していた。上京後は『バオー来訪者』の短期連載を経て、1987年(昭和62年)より『ジョジョの奇妙な冒険』の連載を開始し、2003年(平成15年)までに6部の物語を執筆する長期連載となった。2004年(平成16年)に同誌にて『ジョジョ』のPart7にあたる『スティール・ボール・ラン』の連載を開始し、連載途中の2005年(平成17年)より月刊誌『ウルトラジャンプ』に移籍。『ジョジョ』シリーズは2010年(平成22年)には通算100巻を達成し、達成後の2011年(平成22年)に『スティール・ボール・ラン』を完結させた後、すぐさま『ジョジョ』のPart8である『ジョジョリオン』の連載を開始し現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒木飛呂彦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hirohiko Araki 」があります。 スポンサード リンク
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