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荒木 道子(あらき みちこ、1917年3月6日 - 1989年3月24日)は、日本の女優。元夫は文芸評論家の菊地章一。菊池との間に儲けた息子は俳優・歌手の荒木一郎。 == 来歴・人物 == 1917年(大正6年)3月6日、東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田)に生まれる〔『日本映画俳優全集・女優篇』、キネマ旬報社、1980年、p.36〕。父は文芸評論家の至文、母は青鞜社出身の作家の滋子で、兄が2人いた〔。 明化尋常小学校を経て1934年(昭和9年)、女子学院を卒業〔。YWCAの語学部職員、帝大図書館員を経て、1938年(昭和13年)に文学座研究所に入り、賀原夏子、青野平義、小山源喜らとともに第1回生として卒業〔。同年に勉強会『かりそめになすな恋』で初舞台を踏み、田中澄江作『はるあき』の柿沢てい子役で本格的にデビューする〔。ついで『野鴨』『わが町』などに大役で起用され、近代的な感覚とムード、独自の台詞まわしによって注目された〔。 1941年(昭和16年)4月6日、文芸評論家の菊地章一と結婚(1953年(昭和28年)に離婚〔『日本女性人名辞典』、日本図書センター、1993年、p.51〕)、一子出産のため1943年(昭和18年)に文学座を退団〔。戦後の1947年(昭和22年)には芥川比呂志、長岡輝子らと麦の会に加わり『林檎園日記』などに出演。1949年(昭和24年)に麦の会は文学座に合流し、それ以後は『ママの貯金』『ワーニャ伯父さん』『武蔵野夫人』と精力的な活動を続け、新劇俳優としての地歩を固めた〔。舞台の代表作に『三人姉妹』のマーシャ、『欲望という名の電車』の看護婦、『三婆』のタキ、『浅茅が宿』のぎん、『花咲くチェリー』のイゾベルなど〔〔荒木道子 、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2015年10月31日閲覧〕。 1950年(昭和25年)、豊田四郎監督の『女の四季』で映画に初出演、それいらい年平均3本のペースで映画に出演する。主に過保護気味の母親や山の手夫人といった役柄を得意とした〔。1964年(昭和39年)、東映教育映画『おふくろ』の主演で文部大臣賞を受賞〔。テレビドラマでは『ただいま11人』で山村聰と夫婦を演じたほか、連続テレビ小説『あかつき』など多数に出演した。 1989年(平成元年)3月24日、心不全のため東京都新宿区の慶應義塾大学病院で死去〔『演劇年鑑'90』、二松堂書店、1990年、p.212〕。72歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒木道子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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