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荒神橋事件(こうじんばしじけん)は、1953年11月11日、立命館大学広小路キャンパスでの集会に合流しようとした京都大学の学生デモ隊と警官隊が京都市内の荒神橋上で衝突した事件である〔京都大学の世紀1897-1997 京都総合研究所 紫翠会出版〕。 == 概要 == === 学園復興会議と「わだつみ像」 === 1953年、日本国内の大学は戦争による被害から未だ立ち直っておらず、朝鮮戦争や再軍備にともなう財政切りつめにより貧弱な教学環境を強いられていた。またレッドパージなどを通じた国家の介入により大学自治も大きく制約を受けていた。この年、全学連中央委員会は、「教授、職員学生の団結によって明るい学園を復興しよう」をスローガンとした「学園復興会議」を京都の3大学を会場に5日間の予定で開催することを決定した〔。 会場となった3大学は京都・同志社・立命館各大学であったが、このうち京都大学では会場に予定されていた法経一番教室の使用を大学当局(服部峻治郎学長)が認めようとせず、警官隊導入により抗議する学生を排除するなどしていたため当局と学生自治会である同学会(1951年の京大天皇事件の結果解散をよぎなくされ、この年の初夏、学生による全学投票を経て再建されたばかりであった)との間には険悪な雰囲気が漂っていた。復興会議は11月8日、同志社大学明徳館を会場として第1日目が開催され、全国から相当数の学生が集まった〔。 同時期にはまた、戦没学生記念のために製作されたにもかかわらず受け入れ先が決まっていなかった「わだつみ像」(当初東大での建立が予定されていたが東大当局の拒否により実現しなかった)が、末川博総長などの尽力によりようやく立命大に受け入れられこの地に建立されることが決まっていた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒神橋事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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